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思い その75「オレオレ(特殊)詐欺とかけて、お向かいの北の核と解く…」


不安の元 イメージ仕事を頂いてこのような事を言うのは不謹慎と思いつつ、今回の仕事は「面倒」でした…。やってることはサイト作りですので大したことないのですけど気分的にちょっと…。まあ、細かいというか、楽しめないというか…。もっとも、仕事なんてそんなものなのでしょうけど、終わって、やれやれって感じです。そんな時はしばらくものを考えるのが億劫になって、というか、頭に浮かび上がってくるのはくだらない事ばかり。今回はそこを少々開き直って、「書いてみようかな…、でも…」なんて、駄文に終わりそうなのでこれまで手を付けなかったテーマを書いて、頭のリハビリでもしようかと…。

ノッケから駄文などと不遜な言葉を掲げて、恐縮しつつ、書きます。

古典的ですが、「何々とかけて、何々と解く。そのこころは…」なんてのがありますけど、これは形としては一見全く関係のないようなもの(言葉)を二つ上げて、「その心は…」とつなげて「どちらも何々でしょう」と、その共通点を意外なところで「落とす」定型的な言葉遊びです。ヘタクソなのを一つやってみると、「問題点とかけて、ボクサーと解く。そのこころは…」、「どちらもケントウ(検討・拳闘)」します。その落とし方の切れ味が勝負ですけど、大半は脱力系が多いと思います。昔、某ラジオ番組でやっていたものに、超脱力&ナンセンスな奴がありました。「ウンコとかけて、トマトと解く。そのこころは…」、で、「どっちも自転車に乗れません」…。これには超気が抜けてしまいました(が、笑ってしまいました)。この言葉遊びの本質は、「くだらなくても、完全否定できない」ところです。バッカバカしいと思いつつも、否定ができない。そこに生まれるのが脱力系の笑いかも…。

で、それは置いといて、「オレオレ詐欺(いわゆる『振り込め詐欺』で、特殊詐欺というジャンルの犯罪)」なんてのが、いつまで経っても無くなりませんし、けっこう身近でも起きています。手の込んだものはさて置き、けっこう単純な、例えば本人かどうかの確認なんて色々あるじゃない、と言いたくなるような手口に引っかかってしまう場合もあるようです。何故でしょうね? 「私はそんなものには絶対に引っかからない」と言い切れるかな、自分も…。今では警察や自治体、金融機関の指導・努力もあって、ある程度は防げているようですけど、まずはそれに引っかかってしまう心理とはどのようなものなのでしょうか。

そんなことを考えていると、冒頭に書いたように「駄文に終わりそう」なことを書いてみたくなったのです。滑るのは覚悟の上。

この「オレオレ詐欺」ですけど、先ほどの言葉遊びでいうと「オレオレ詐欺とかけて」、唐突ですが、「北の核と解く」ってやってみると、答えにキレは(全く)ありませんけど「そのこころは、どちらも『もし、万が一…』の気持ちが捨てられない」、でしょうか。いえ、ここに面白さなんて全然ないことは承知の介です。言いたいのは、「確率」とかってやつなんですけど、例えば、「これはオレオレ詐欺かも…」って思っても、「もしかして本当に自分の子供(家族)が困っていたら…」って考えると、「あり得ないと思うけど」って思っても「100分の1」くらいの確率を捨てきれない。「北の核」も「実際に完成しているのか?」「撃つ訳がない」と思っても「もし…」って気持ちが捨てきれない。それが10,000分の1であっても…。何本かの核ミサイルに、何千本も持っている国が疑心暗鬼の神経質になっているようで。

「オレオレ詐欺」と「核」を茶化したように書くのは不謹慎かもしれませんが、「核」なんて、いってみれば「ウツウツ詐欺」みたいなものかもしれないでしょ。抑止力だなんていっても「もし、相手が撃ってきたら…」なんて気持ちが消しきれないから、こっちも「報復」のためとか言って「核」武装しちゃう訳で。これって、お互いの喉元にナイフを突きつけている状態と同じ景色でしょ。簡単な心理で、つまりは「信じられない」がお互いの絶対的な前提になっているのです。どれほど人の良心、理性を働かせたところで「信じる」という行為は「コンマ数%」の「疑心」を完全払拭はできないという事です。世界は「疑心」の上にかろうじて浮かんでいる危ういものであることは誰にも否めません。

つまり、数学的にいえば確率は成り立ちますし、100%といえばそうだし、2%といえばそうなんでしょう。10%~15%程度、なんて「座り」の悪い言い方もありますけど。しかし、これが「人の感情」という世界で言えば、100分の1、99%はあり得ない、とか言われても要は「あるか、ないか」となります。話が飛びますが「地震」なんてのもそうでしょう。「大地震が数年以内に起こる確率は5%」とか言われても安心すればいいのか「えらいこっちゃ!」と騒げばいいのか、分かりません。で、色々な防災グッズなんてのが出てきたりして、典型的な「不安(煽り)マーケティング」です(それ自体は仕方ないですけど)。

言いたいのは、人の「不安」なんて、数学的な10,000,000分の1だろうが100,000,000,000の1だろうが、心理的には0か1の「五分五分」になるという事です。まあ、その程度問題については人それぞれでしょうけど。ですから、「詐欺」というものも、「抑止力」という「卵が先か鶏が先か」のような訳の分からん理屈、言葉が無くなることも無いでしょう。

では、われわれは常に「不安」を抱えて生きていかなければいけないのでしょうか? まあ、そうでしょうね。唯一、そこから逃れられる方法は「開き直り」「鈍感」、即ち「覚悟」でしょう。言葉にすれば「どーでもいいよ」ってな身も蓋もない捨てセリフかもしれませんけど…。しかし、世の中の皆が全て、本当には訳の分からない「安全」「平和」「信頼」「絆」とかといった説明しきれないものを頭の中から叩き出して「どーでもいいよ」って暮らして行ったら、もしかして…、ひょっとして…、とっても平和な世の中が訪れたりして。その代わり、原始時代へ徐々に戻って行くかも、ですけど…。なんか、そっちの方がいいような気が…。

ハイ、「だからどうした」ですよね。気持ちよくツルリと滑りました。

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