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思い その71「自己責任なんて言葉、もうウンザリ… 弱者が弱者を貶める」


日本えー、第71回カンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールを「万引き家族」の是枝裕和監督が受賞されたというニュースにはある種の妙な感慨を覚えました。日本作品への栄誉ある受賞というのは当然なのですが、この作品が海外の人たちに与えた驚きに「日本人は皆、豊かだと思っていたのに…」という感情があるらしいという事を、WEBのニュースだったか新聞だったかで知った時、「あ…、そうなんだ」と拍子抜けたような想いが湧き上がってきました。そうなんです、自分でもこの作品に対して、明確に何が評価されたのかなんて何も考えなかったのですけど(まあ、見ていないですから)、タイトルから考えて何かの揶揄を含んだ作品なのかなと勝手に思ってしまいましたが、どうも全く違って、そのマンマに近い作品のようです。

是枝裕和監督は、現実の事件である「親の年金を親の死後も不正に受け取っていた」という事件からこの作品の着想を得たそうです。親の死を届け出ないで、そのまま年金を受け取って生活していた人たちがいる。単純に考えれば、違法です。道義的にも責めを負うべきものでしょう。しかし、「そうしなければ命をつないでいけない人たちがいる」という現実が、恐らく是枝裕和監督の目に映ったのでしょう。私は自分の知り得る範囲内の経験から、監督と同じことを感じます。世の中がどれほど裕福になろうとも、それは万人のもとには事実として届かないのです。いや、届かないというよりも、富というものが生まれれば、そこには「奪い合い」が必ず起こり、「得る者」と「得られない者」とが分かれ、富は「偏在」します。緩やかに偏在するとしても、いわゆるマジョリティー(多数派:Majority)の「中間層」が広く富を享受できたとしても、その恩恵に預かれないマイノリティー(少数派:Minority)が、社会の持つ構造の中に生まれます。それは、「努力」「頑張り」とかいったものでは逃れられない要因によって発生するものです。

その「要因」とは何でしょう? いくらでも考えられるでしょ。肉体的なハンディ(不利な条件によって生じる不利益:Handicap)。精神的なハンディ。つまりは社会的なハンディです。そして、最大の問題は「社会が構造的に生み出したものなのに、社会的に正当な救済策がない」ことにあると考えます。その事実は殆どの場合、無視されます。「自己責任」という、本当にそれを持っている人にとっては「絶対に他者には口にしない自身の信条」である筈なのに、往々にしてそうではない者の無教養と自己欺瞞から吐き出される便利な言葉によって。

この記事と同じようなことを既に「変 その73」の「火垂るの墓 自己責任? 自業自得…」に書きました。が、WEBニュースや新聞の記事で「ホームレスなどの生活困窮者」の方たちを見守る活動をされている人たちが生活困窮者の方に「生活保護」を勧めても、それを受け付けない場合が多いという事実を見て、大いに憤ってしまい、どうにもやりきれない気持ちでまたここに書いてしまいます。もう「変」などということでは括れない、社会心理の荒廃が起きているのは間違いありません。かつての、危険地域とされていた中東の地に赴いて武力勢力に拘束され、それが解放されて帰国すると一斉に「自己責任」という言葉でバッシングが起きたことを思い出します。「自分の考えで危険な地域に勝手に行ったのに、それを国に助けてくれなんてお門違いのバカ野郎」とかいった非難や、高齢で障害を持つ方から「私は甘えることなく、一人で全てやっています(自己責任で?)」といった投書や、脅迫まがいのものまでがあったとか。その時、そうしたバッシングに対して「何がどうあれ、自国の国民を救出しない国を望むなら、あなたに国家などは無用! 棄ててしまえ!」と思い切り頭にきた記憶があります。

先に、「自己責任」という言葉は無教養から発せられると書きました。その理由は、「民主主義」なるものを根本的にはき違えているからです。「多数決」が民主主義であるなら、それはただのポピュリズム(大衆迎合:Populism)であり、いとも簡単に全体主義へとすり替わってしまうでしょう。「民主主義」の根幹は「マイノリティー(少数派:Minority)」の意見、存在をどう掬い上げるかにあります。「自己責任」という言葉はそれを全く理解していない「無責任」そのものです。で、その「無責任」は情けないことに「本当は弱者」な者が「弱者」に対して吐き出し、「人を貶めることで少しでも自分を浮き上がらせよう」という痩せて乾いた性根から生まれてくるものなのでしょう。

以前、「保護なめんな:HOGO NAMENNA」と書かれたジャンパーを自治体の生活保護担当職員が着ていたというニュースがありました。驚きもしないですけど、半数近くの投書が「よくやった」と職員を擁護していたようです。「生活保護を受ける者は自己責任を回避している」といった気分が強いのでしょう。職員にも職員の苦労はあるでしょうけど、なんとも体温が下がってしまうような出来事でした。いったい、いつから、「自己責任」なんて言葉で「弱者が弱者に敵意を向ける」ようになったのでしょうか。考えるにそれは昔からあったもので、あまりにも「富の偏在」が今の社会で顕著となり、それに伴って「弱者同士が不毛な足の引っ張り合い」をしていることまでもが目立つようになったのではないかと思います。それはつまり、多くの人たちがバラバラになって行くということ。「格差」「分断」等々、ろくでもない言葉が社会に蔓延し、その通りになっていく様は、否定しようもない現実の姿なんでしょう。

本編の「思い その52」、「自分はホームレスなんかにならないって思っている人へ」に書きましたけど、つまりは「自分は社会的弱者にはならない」なんて思っている富裕層だとか中間層とやらでも、アッという間に、抗うすべもなくホームレスへと転落せざるを得ない可能性が誰にでもあるということを、皆、根拠のない「正常性バイアス(補足説明※50)」で「自分は大丈夫」だなんて思っているだけですよ。自分の知り得る経験から言っても、これはあまりハッピーではない事実です。そうしたどうしようもない不幸に見舞われた時、その人は「これは自己責任」だなんて沈黙するのでしょうか。それよりも遠慮なく言いましょうよ、社会に対して、周りの人に対して、「助けてくれ!」って。それを助けられない社会だとしたら、作り間違えたということじゃないですか。

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