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思い その63「素朴に、道州制に賛成する理由 議論はどこへ行った…」


日本最近、この「道州制(補足説明※57)」なるものの議論を目にすることが殆ど無くなってしまったように思います。あの「大阪都」構想が頓挫してからの様な気がしますが、頓挫したとはいえ紙一重の差。まあ、それより、そうした事を住民投票にかけるというのが何やら面妖でしたが。今、世界各地で、政治的に大きな問題(独立等)を国民投票や地域の住民投票に委ねるという手法が目立っていますが、一つの政治イベントとしてならまあ、勝手にどうぞ、ってな感じですけど、本当に「突けば血が出る」ような決定を国民・住民投票に委ねるなど、政治の劣化も甚だしいと思います。本来それは「最後の最後の手段、手続き」であるはずなのに、あちこちでポンポンとお手軽に行われています。お祭りのようですな。盛り上がってますから。

以前、某SNSでこのような意見を述べると、突然横から因縁を付けられたことがありますが、その辺りのことは本篇の「その42」に書きましたので、興味がおありの方はご覧ください。おそらく同じような思いをされた方は少なくないように思います(かな?)。まあ、考え方は人ぞれぞれということで尊重はしますが、相手に反論するのに知性の欠けた無礼な態度は議論の対象にもなりません。砂を噛むような気持で終わりです。私は最も一般的な「アホ」の日本人だそうです。はあ…。曰く、民衆が直接意思決定できる機会はより多い方が良いのに、政治家に全て任せるのは日和見的だとか。そういうことをムカッとくる言葉で演説されましたが…。まあ、その考えはそれで結構ですが、それって単純に「循環」の理屈になることが分かりませんか。国民・住民投票をするにはそれを決定する機関があって、それは本来「意思決定」を委ねられた「政治家(代表)」です。が、それが「意思決定」を、自分たちを選んだ国民・住民に投げ返すわけです。そこで決まったことを、今度は政治家が…、って、まあ「循環」ですわな。

あの時、なぜ「大阪都」構想を住民投票などにかけたのでしょうか? なぜ「血を吐く思い」で、その必要性を政治家が説き続けてくれなかったのでしょうか。議論が不十分でいきなり「決選投票」とばかりに住民投票でイベント的に盛り上げようなんて、その図式から「怪物」が出てくることだってあるのです。あのヒトラーは「投票」で出てきたわけで、親衛隊という暴力装置は持っていたものの、建前としては極めて民主的に生まれた独裁の「怪物」です。もっと「多極的」な選挙であれば、あのようにはならなかったと思うのですが、第一次世界大戦(ヨーロッパ大戦でしょうね)でヨーロッパ中からボコボコにされ続け、国の存続さえ怪しくなってきたワイマール共和国(当時最も先進的な民主国家)から、ドイツ民族の救世主という「一極的」な選択の中で出てきて、加えていえばワイマール憲法が持っていた弱点(失敗)、「緊急時に権力を集中させる」という条項を発動させてしまい、そのあとは歴史の通り。

で、唐突に本題に行きます。このように「一極的」な問題を国民投票にかけ、それに耐えうるだけの「知性」と「教養」がそこに十分備わっているとは考えにくい。「議論」よりも「揮発性の高い空気」が大勢を決めていくでしょう。極論ですが「戦争」を国民投票で決めたらどうなるでしょうか。その時の「時代の空気」でどちらにでも転びます。「原則・理念」なんてものは皆の足の下で踏みつけられます。「一極」は危険です。常に「分裂とバランス感覚」を内包したうえでの「多極的」な構造が政治を健全にすると考えます。まあ、安定はしないと思いますけど、その分、一方向にドッと行くこともないでしょう(多分)。その構造が「道州制」、つまり「一極的な中央集権の排除」という形にあると考えるのです。極めてシンプルに。アメリカの様な「連邦制」ではありません。どちらかというと、経済と文化をコアとした「強い自治単位」を集合させる、ということです。国家の在り方としては「政党政治」で問題ないんじゃないですか。大統領制なんて、気分次第でどんな「怪物」が出てくるか分かりませんから。

国に、常に健全な「緊張感とバランス感覚」を持たせるためには、県の単位では弱い。事実、国と渡り合えるだけの自治体がありません。まあ東京都くらいかな。今、地方が経済的に疲弊し、都市部からの富の還流で成り立っているのではいずれ足腰の弱い自治体にしかなり得ないでしょう(もうなってるか…)。地方・地域があらゆる意味で「自立」するためには県よりも強い自治の単位「道州」が必要であると考えます。で、手続き的な「住民投票」はあり得るとしても、各地方ごとに強い政治集団がそれぞれに角逐すればいいのです。絶対に「馴れ合い」にならない中規模くらいで。試案としては10程度ですかね。偶数じゃ割れるか…。なら、奇数の9程度。おそらくですけど、例えば四国を一つの自治単位「四国州(仮称)」とした場合、世界の中での中規模の国位の力を持ちえるのではないでしょうか。軍事外交の権利まで認めると危ないので、それは国の専権事項として安全装置を掛けて。

県の単位はもう百年以上経っていますから、それはそれで残せばいいじゃないですか。ただし、複数の「県連合」などではなく、力の差が無い「地域の単位」での「道州制」です。

て、そんなことを考えているのですが、2000年に入ってから多少盛んになった「道州制」の議論はどこに行ったのでしょうね。もともとは明治政府の時代からあった議論なんですけど。とにかく、どこやら一つが強くなって「一強」「一極」というのは常に、「二つに一つ」、もしくは「これしかない」の選択を迫りますから、危ないことこの上ない。まず(できれば絶対に)、そんなことが起きない、「議論⇒意思決定」という、政治の基本的な機能を持ち、なおかつ多極的である体制が「道州制」だと考えます。究極の目的は「慣らされた依存から、責任ある自立へ」。

ホント、この議論って、どこに行っちゃったんでしょうね…。え、まだ、やってるって?

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★怖い その41「素潜りでアワビの密漁… その岩陰に…」
★不思議 その31「水滴が…? どこから?」
★不思議 その27「人が壁をすり抜ける確率は? 電子のトンネル効果」
★不思議 その45「目を閉じているのに、何か見える…」
★思い その35「傲慢症侯群 傲慢は人格障害の一種 何を今更」


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