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思い その60「地上の天の川 二度と出会えぬ里山の景色」


考える 私は子供のころ、ドがつく田舎で育ちました。周りはみな田圃といった景色。夏の夜はカエルの大合唱。今なら騒音問題となるほどの音量。慣れていたので気にもならない風物詩でしたけど。カブトムシやクワガタなどは当たり前の昆虫。ヒラタクワガタ(確かそんな名前…)という小型のクワガタなどは山道の脇を歩いていました。山のクマザサを分け入って沢に下りればそこにはイワナの群れが泳ぐ姿。オニヤンマはあまり珍しくもなく、さすがに個体数の少ないギンヤンマが現れると子供心に夢中で追いかけまわしました。そんな時に出会う「草むらの罠」、肥溜め…。私は幸いに落ちたことはありませんでしたけど、数人の友達がドボンと…。まあ、近くの川に飛び込めば、何とかなりましたけど。舗装した道など珍しく、牛の糞があちこちに。マツタケなど、近くの山で採れたものを袋いっぱいに入れてお百姓さんが歩いていました。珍しくもない、普通の光景。たまに、マムシを焼酎の瓶に漬けて持ち歩いている人も…。うれしい獲物なのでしょう。

コンクリートで護岸された川などなく、農薬の散布なんてものもなかった時代。田圃に立てられた赤い旗を見かけ始めた時、何の印かよく分からなかったですね。あれが、農薬散布時の注意を促す印だと知ったのはけっこう後になってからです。まだ、水車小屋が現役で働いており、牛が農耕作業に活躍し、あちこちの農家に牛小屋があり、牛が曳くリヤカーに乗ったこともあります。まさに「里山」の光景です。

「里山」という言葉は江戸時代の記録に現れるようですが、近代に入ってもその呼称を提唱する学者もいたようで、意味としては「人里に隣接する森林(=自然)」という理解で間違いないでしょう。ですから、「田舎」という言い方とも重なるのでしょうが、要するにかつては日本のあちこちが「里山」であったわけです。しかし、戦後、高度経済成長期に向かう時代の中、ブルドーザーでかなりの「人里に隣接する森林」が拓かれて(=壊されて)、あちこちにニュータウンという、自然との共存を拒む「巨大な人の街」が現れ、お百姓さんも次第にネクタイを締めて、田圃や畑ではなく「会社」へ出かけて、作物ではなく「お給料」を耕すようになっていったわけです。田圃や畑が「土地」になって、作物の代わりに「お金」を生やしてもくれますし。調べれば分かると思いますが、昭和初期の農業への就業労働人口はお百姓さんが約80%。今では、サラリーマン(給与所得者)が約80%でしょう。要するに、両者が入れ替わり、その生活空間、景色がまるっきり変わってしまったということです。つまり、里山と共存する生活が殆どの地域で姿を消したという事でしょう。

で、「豊かな生活」を手にして、今や子供が自殺し、大人は過労死も不思議ではない毎日を多くの者が送り、苦労して手に入れた憧れのマイホームは「約800万戸の空き家」と化し、相変わらずの「通勤=痛勤」を続け、会社は「ピーターの法則(補足説明※11)」に則って「思考停止の凡人」で埋め尽くされ、そして、今になってその「豊かな生活」と引き換えに何を失ったのか、少しは考えざるを得ない時代に入ってきているのでしょう。その間、せいぜいが半世紀くらいでしょう。

まあ、それを「良し悪し」で考えても詮無きことです。いずれにしても、私が育った里山の景色は、「再評価された流行りの情報」でまた目にすることができるのかもしれませんが、そこで子供の時のような生活を送ることは無理でしょう。里山の中心的存在であったお百姓さんが殆どいません(滅んだ)から、あの自然と一緒に「循環」して生きていくシステムが成立しません。

と、昔を懐かしんでの愚痴めいたことを言っているつもりはなく、今が「豊かな生活」であるかどうかは人ぞれぞれとして、私個人が「もう二度とあれほどに贅沢な自然の景色にはお目にかかれないだろうな」と思っていることがあるのです。たくさんありますが、記憶の中に今も鮮やかに残っているのは、タイトルにある「地上の天の川」です。都市部では星があまり見えず、本物の、天空を流れる「天の川」を見たことのある人はかなり少なくなっているでしょうね。今住んでいる首都圏の端っこでも、夜空の星は、子供のころに見たものと比べると「ハゲ」とでも呼びたくなるくらいに薄く疎らになっています。それはさて置き、「地上の天の川」とは「蛍」です。里山から田圃に流れ来る清流に沿って、蛍が、それこそビッシリとユラユラ飛んでいるのです。

それが毎年見られたかどうかは記憶に定かではありません。年によって蛍の大発生があったのかもしれません。まだ田圃に農薬(=毒)を撒く以前のことです。時代は、私が小学生の低学年のころ。その頃は、街灯など殆どありませんでしたが、月明かりで満月の夜などは懐中電灯もいらないくらいほの明るかった記憶があります。夏の暑い時期に夕涼みがてら表に出ると、家の裏を流れている川が緩やかに蛇行し、その流れる水に寄って来るのか、そこで生まれたのか、蛍が煌々と言いたいくらいに集まって飛んでいたり、草にとまっていたり。その光景がまさに「地上の天の川」なのです。そこからフワリと飛んできた蛍が家の中にも入ってきます(寝る時、家に鍵なんて閉めていなかった。開けっ放し)。そのころは蛍など珍しくもないのですが、その「地上の天の川」の光景は忘れることがないくらい幻想的な美しさをもった自然の景色でした。

何度か、信州にある「源氏蛍の生息地」と言われる場所に行ったことがあります。が、とてもとても、子供のころに見たあの光景とは比べようもありません。別に「昔は良かった」的なことを言いたいわけではないのです。ただ、「あれほど当たり前に生活の中にあった自然の光景」は、今思うとなんと「贅沢」なものであり、それを失うということに「それほど豊かな生活になったの?」ってな思いが少々皮肉っぽく湧いてきます。もうあの「地上の天の川」を見ることは叶わないでしょう。しかし、それを目にすることができたことは、今の時代に生きる身としてわずかに僥倖(ラッキー!)であったと思います。あれほど「豊か」な自然に恵まれた環境の中で子供時代を過ごすことができたことに、改めて「何か」に感謝したいような気持ちになります。

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