「不思議」「怖い」「変」を普通に考える。タイトルバナー

思い その58「所有、占有 それはそもそも誰のもの…」


考える 最近、時間を見つけては散歩するようにしています。まあ、基本が在宅での座業(フリーランス)ですから、ついつい運動不足になりますので、できるだけ体を動かそうと思い、外を歩くことを習慣づけようと思っています。ってな動機で始めたウォーキングですが、これがやってみると結構楽しい。何がって、自分が住んでいる街のことって意外とオッサンは知らなかったりするものです。こんなところにこんな雑木林が、こんなところにこんな見事な木が、こんなところにこんな公園施設が、とかとか、色々と改めてあちこちを歩いていると気が付かされます。季節季節の色々な花が咲くのを見るのもなかなか楽しいですよ。本当にこの国は「四季」というものが明確に景色を変え、その都度、毎年のこととはいえ、新たな趣と風情を感じさせてくれます。桜が散って、緑の葉が茂り、そこから毛虫が落ちてくるのも風物詩です。

で、そういった楽しみに改めて気が付いたのはいいのですが、このサイトでも何度か書いた「空き家」問題なるものが、思ったより深刻なスピードで進んでいることに気が付きます。住宅地のある一角は同じような世代の方が同じような時期に入ってきたでしょうから、ハッキリ言って「空き家=廃屋」が数軒、枕を並べて続いています。かつては小さな子供がいて、にぎやかな一角であったのでしょうが、その子供が家を去り、夫婦二人が家に残って、そして最後はまだ生活の痕跡を残している家が、サドン・デスです。そうした家の多くが、相続の問題で「ホッタラカシ」になっているのか、解体もままならず、解体して更地にすれば固定資産税が高くなり、売却できれば問題はないのでしょうが、そうそう、ホイホイとスーパーの総菜のように売れるものではないでしょうし。って、そんなことを考えながら街並みを眺めて歩いていると、季節の趣もすっ飛んで、なんとも無粋な思いにかられるだけです。

郊外店なんかも、コンビニや大型・中型のスーパー、ドラッグストアなどが撤退した跡があちこちに寒々しい景色を晒していますけど、あれも、土地を貸している者が土地だけを貸しているのではなく、上物を借金して建てて事業者に貸しているらしく、その原資は、その「借りる側=事業者」が地権者に融資して上物を立てさせて借りているとか…。ってことは、もし事業者が撤退したら、借金と空の建物だけが残るってことですかね…? 今私が住んでいる所は首都圏の片隅なので、そんな物件が多いです。もとは百姓が持っていた農地なのでしょうが、それが今や「耕しもしないで」不労所得を生む畑になっています。まあ、それが決して事業ではなく、ただ「貸して」、「リスク」は押し付けられているだけですから、事業者の方が当然賢いですよね(金儲けは上手い)。

しかし、そんな無粋な景色を見ながらいつも思うのですけど、そもそも、地権者とか、地方に行くと「地元の○大地主」なんて言葉を聞きますが、その土地って「もともとは誰のものなんでしょう?」。耕しているなら、それは「土地が生活の手段」であり、「所有ではなく使用」、つまり、「継続的な生業」ということで理解できるのですが、そこに「土地の所有」というのが生まれたのはいつの時代なのでしょうか。しかも、それは「相続」されて「占有」が続きます。極めて「排他的・独占的」に。ちなみに、「所有」と「占有」を愛用の新解さん(国語辞典)で調べてみると、「所有=自分のものとして、持つこと」、「占有=自分の所有とすること」とか。同じような意味ですね。ただ、この「自分の」ってところの根拠って、未だによく分かりません。みんな、疑問に思わないのでしょうかね? 考えてみたら、かなりオカシイというか、不自然…。

司馬遼太郎がバブルの時代の「地価狂乱」に対して、縄文の昔にまで遡り「そもそも、土地というのは生きるための手段であって…」という論を述べ、そこに「個人的な所有」という概念は無い、と書いていた記憶がありますが、これはご本人の弁ですけど「僕の疑問は根源的過ぎて、誰からも相手にされない」と自嘲されていました。でしょうね。そこに触れてしまうと、今の世の中を構成しているシステムが途端に「価値」のダッチロールを始めてしまいますから。キャピタリズムは「個人の所有」を認め「占有に至って」、それは経済という暴力に変わる、と私個人は考えています。単純すぎる考えでしょうか?

もし、土地などの「富の源泉」に対して「所有」や「占有」を認めず、「使用の権利」だけを認めるなら、「使用者」がいなくなれば、早い話、「誰のものでもなくなる」ということで、財産がどうの、とか「私有地だから」なんて面倒くさい法的な問題もけっこう解決すると思うのですけど。

なんてことを考えながら歩いていると、自転車にぶつかりそうになりました。歩道なんですけど。やっぱり、今のこの社会は「失敗作」のように見えます。昨今言われるポピュリズムとやらのせいでしょうか? そんなものは昔からありますよ。根本にあるのは、「人間の劣化」、と、言いたいけど「劣化」するという事は、それ以前には「健全」であったわけで、やはり「もともと、出来損ない」ってのが妥当でしょうね。自分も含めて、人間なんて。まあ、開き直って季節の移り変わりの景色でも楽しませていただきましょう。人間が「社会性のある出来損ない」でも、そういった情緒を持っている生き物であることは間違いないでしょうから。

「思い徒然」編 目次へ



【商品検索】Powered by Amazon

↑「すべて表示」をクリックするとAmazon.co.jpの検索結果一覧に移動します。

■これからギターを始められる方のご参考にでもなれば。
「雑学を楽しむ」サイト
テキトー雑学堂 バナー
「花を楽しむ」サイト
花を飾る バナー


■サイトポリシー ■プロフィール
■お問い合わせ
ページトップへ戻る

Design by Megapx / Template by s-hoshino.com
Copyright(C) Ureagnak All Rights Reserved.