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思い その53「諸悪の根源 バカの定義について考える」


考える 自分の書いた文章を読み返してみると、けっこう「バカ」って言葉を使っていたりしています。日常でも使いますし、当然ながらこちらが言うこともあれば、相手に言われることもあります。これを半村良が言うところの「莫迦」と書けば、「いやーん、バカーン」てな艶っぽい言葉になるそうです、お江戸では(ホンマかいな)。「馬鹿」と書けば、馬と鹿が命がけで疾走し、己の矜持をかけてその健脚を競う、な~んてことはなくて、まさに「バカ」…。で、この「バカ」っての、明確に定義するとしたらどう表現すればいいのでしょうかね? 感情紛れに連発するのは気持ちがいいのでしょうが、感情ではなく「知性」でもって、「君はバカである。なぜなら…」なんて大真面目な顔で言おうとすれば、その「なぜなら」と言うための「定義」が必要です。ハイ、この辺りで、もしこれを読んでいただいているありがたい方がいらっしゃったら、「バカか…」とつぶやかれているかもしれませんが、自分もバカであるということを部分集合として認めなければ、本記事のタイトルについては考察ができません。馬も鹿も見たことがない人に、馬と鹿は語れません。

長い「前振り」を終えて本題に。まずは一般論として「バカとは何か?」をまずはいつも机に置いてある、愛用の新解さん(国語辞典)に聞いてみます。えーと…、お、あったあった…、どれどれ…、何じゃこれは! といきなり驚かされてしまいました。何と「ばか」を引いてみると、その説明だけで、39行もあります。まずその冒頭から…。「雅語形容詞『はかなし』の語源の強調形」。いきなり、アカデミック・パーンチ! 続いて「記憶力・理解力の鈍さが常識を超える様子。また、そういう人」。これはちょっと「差別的」な表現にもなり得るのでいただけません。ですから、次のような言葉がつながっています。「人をののしる時に一番普通に使う語。公の席では刺激が強すぎるので使わない方がいい⇔利口」とあります。この辺り、新解さんぽいような、当たり障りがないだけのような…。更に行きます「社会通念としての常識にひどく欠けている・こと(人)」。「不合理さ・つまらなさが常識を超える様子だ」何やら、「バカ」とは言葉の力で捉えようとすると深遠な世界がそこにパックリと現れてしまうような…。恐るべき「バカ」…。それで次には…、「ばか貝の略」とか。ここで4分ほど笑いました。

で、ここで気が付きました。冒頭に記してあるはずの「漢字での表記」がないのです。「バカ」とは空気のように漂っているものなのか? 日本の言語で以てしても捉えきれぬ…、って、ああ途中にありました。「馬鹿・莫迦・馬嫁・破家は、いずれも借字」。ということは、やはり「バカ」の正確な漢字の表現は存在しないのか…。そもそもはサンスクリット語であるとの記述も見かけます。なんでも「無知・迷妄」を意味する"baka""moha"の音がもとであるとか。「募何」「母娘」「馬娘」などの表記もあるらしい。あまりにも面白いので、本来の目的を忘れそうです。

まあ、一番定説っぽく言われている俗説は「史記」に記されている「秦の趙高が、二世皇帝(始皇帝の次)に鹿を馬であると言って献じ、それを鹿と答えたものは命を奪われた」という、自己の権勢を誇って無理を押し通すことの意味として「馬鹿」を使うようになったという故事に習ったものでしょう。しかし、そうなると、「バカ」とは権力者であり、社会的強者として、なにやらとんでもない存在になってしまうような…(そういう面も確かにあるけど…)。そういえば「バカ」がややもすれば尊称のようになる場合もありますね。釣りバカ、空手バカ、仕事バカ等々…。

「バカ」の語源について調べていたら、どこかに行きそうになってしまいました。考えるべきはその定義です。実はこの「バカの定義」について考えたくなったきっかけは、東日本大震災で故郷を離れて生活することを余儀なくされた方々の子供を「菌」とか、援助金を得ていることを揶揄するような発言が問題になっていることを新聞で読んだことです。差別を行うものを非難するのは当然として、なぜ、そのような差別がこの世から無くならないのか? それがどれほど「無意味」で、人をただただ理不尽に「傷つける」だけのことであるかは、少し考えれば分かるはずなのに…。と、そう考えた時、「なるほど(ってほどでもないですけど…)」、その「少し考えれば」ができないからか、と思い至ったということです。学力が低いとか、理解力が低いとかを「バカ」というのも、自分がそうだったら、そう言われたら、という至極簡単なことを「考えられない」からでしょう。

サンスクリット語の深淵な言葉の源を探らなくとも、「バカ」の定義はここに成立するじゃないですか。要は、「自分の頭で物事を考え、対象に働きかけて、判断できない(もしくは、しない)」ことで「バカ」の定義は十分成立します。それは、人間がもともと持っている「感情移入」という精神の力が甚だ鈍っている状態ということでしょう。この「感情移入」という能力を持っていなければ、スポーツ観戦を楽しんだり、小説や映画を楽しんだり、ましてや人を愛するなんてこともできないでしょう。あらゆる能動性のもとがこの「感情移入」にあると思います。「忖度」する、「斟酌」する、なんて日本語があります。その対象は「相手の気持ちを」、です。

つまり、「バカ」とは、学力があるないとか、記憶力の良し悪しとか言った脳の器質的なものではなく、人にとって最も大事な「感情移入」という精神的な能力を持ち合わせていないことを指していうものと定義します。そうすれば、ある意味、愛嬌への表現として使われる「バカ」や、尊称めいた表現として使われる「バカ」とは明確に区別できます。もし人間に「人のことを思いやる」という「感情移入」の力が完全に無くなったとすれば、どれほど荒んで腐臭のする社会が現れるのでしょうか…。人が人に対して「好き嫌い」を個人的に感じるのは致し方なし、でしょうが。

「ちょっと考えれば分かる」ことを「自らの頭で考えない」、それがすなわち「バカであることの定義」で、なんで差別や根拠のない優越感が存在するのか、分かりやすいと思います。もともと、他者への差別や優越感(二つは同義)は「努力の要らない」精神的な快楽をもたらすのでしょう。簡単に言えば、「気持ちいい」のですよ。それを「理性」という名の頭脳の力で、その汚泥から逃れる力を、自らの精神まで貶めないようにする力を、人間は誰もが持っているのに、それを使わない(使えない)人が、「バカ」という呼称にふさわしいのです。

やだね、「バカ」は。

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