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思い その46「日本は仏教国? 神道の国? それとも…」


門松毎年、年末年始になると思うことですが、この日本という国は誠に面白い。キリスト教の「クリスマス」が終われば、即「仏教」の除夜の鐘に神妙となり、年が明ければ初詣と「神道」の国となります。最近ではハロウィーンなる行事も年末に加わり、ドンチャン騒ぎ。いったいこの国の宗教的な形とは何であるのか?と毎年、楽しく考えを巡らせます。

まあ、クリスマスやハロウィーンなるものは「商業的」な催しと単純に見ることができますが、「仏教」と「神道」が即、切り替わる様は、例え形式的であれ、世界でも珍しい宗教的行為ではないでしょうか。ではこの日本が敬虔な仏教国か、もしくは神道の国なのかと云えば、ちょっと怪しい。世界の三大宗教「キリスト教」「イスラム教」「仏教」という区分で云えば、日本は「仏教」のカテゴリーに入るのでしょうが、その「仏教」が日本古来の「神道」と仲良く並んで、殆ど宗教的なコンフリクトを起こしません。

世界では何だかんだと言って、本来は「人を救う」筈の宗教が長い歴史の中で大量に人を危め、いつ果てるともないコンフリクトをいまだに続けています。仏教の世界でも全くないとは言えませんが、神道にしてもそういったものは見受けられません。戦の時にその仏や神(日本の)を掲げる事はありますが(聖徳太子が物部氏との戦で仏を掲げたり、武士が戦勝祈願のために八幡様に詣でたり)、仏や神の名のもとに争うということは歴史上、無いといってもいいでしょう。一向一揆は宗教勢力というより、土豪が大勢力に抗うため「厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)」の旗印のもとに結束した程度でしょう。織田信長の「比叡山焼き討ち」も政教分離の断行と考えるのが妥当かと考えます。

では、何故、キリスト教やイスラム教のように仏教や神道はコンフリクトを起こさないのか? それどころか、違った宗教世界を持つ者どうし、仲がいい(争わない)。不思議と言えば不思議な光景です。キリスト教やイスラム教(もともと兄弟のようなもの)がコンフリクトを起こすのに、仏教や神道がそうでない理由は、それぞれの宗教的在り方(人間との関わり方)がキリスト教やイスラム教とは全く違うからだと考えます。

「キリスト教・イスラム教」はその神と人との関係に「契約」があり、神が人を支配する構造があり、その教えを現す「経典」が存在します。キリスト教は「聖書」、イスラム教は「コーラン」。それと違って「仏教・神道」には「契約関係」も支配も「経典」もありません。神道にいたってはその神の頂点にある「造化の三神」は人格神ではなく、その次に存在する「別天津神(ことあまつかみ)」の五柱の神も人格神ではなく「独神(ひとりがみ)」であり男女の性別もありません。この辺りの事は兄弟サイト「テキトー雑学堂」の「人文・思想その11」で書きましたので、ご興味を持たれた方はぜひご覧ください。

仏教には「経」があるではないか、と言われそうですが、それがどれだけあるか数えた事もありません。どの「経」が仏陀の言葉を正確に伝えているのか分かりません。説としては「法華経・蓮華教」、「般若心経」との説もありますが、どれも文化大国の中国を経ていますので、原型をどれほど保っているのか。仏教には核となる「経典」が存在しません。人を支配もしません。これは神道と同じで、不謹慎ながら「緩い」と表現できます。

キリスト教のコアには「愛せよ」があり、イスラム経のコアには「助け合え」があり、どちらも崇高な教えですが、それは「具体的な行為」に及ばせるものです。「仏教」は「智慧」を説き、「神道」は「清浄」を求め、どちらも「具体的な行為」というよりも「人としての在り方」として理解できるものです。

「仏教」が日本に入ってきたのは六世紀半ばで、当時は既にヤマト政権が確立されており、百済から献上された仏像・経論も「新しい神」という概念より、その時代の「インテリジェンス」として受け入れられたのではないでしょうか。それらは美術であり、技術であり、治世の方法であり、仏教を受け入れたのはその当時の知識層だったと考えます。寺院の建立も、仏教の奨励も、要は新しい文化・技術を取り入れるためで、つまりは治世のため、やがては「鎮護国家」という、国(=朝廷)を守るための役割を担わされ、「神道」とは違う次元で展開していったのでしょう。故に「本地垂迹(ほんじすいじゃく):補足説明※44」として実にスムーズな神仏習合が行われた、と考えます。ここから考えると、日本は純粋な「仏教国」でもなく、かつての「神道の国」でもないでしょう(戦前の国家神道は神道ではない)。

では、やはり諸外国から往々にして言われるように日本は「無神の国」なのでしょうか? 「否」であると考えます。宗教的対象である「支配もせず、特定の考え・価値観を押し付けない」神々(諸仏)が、どのような姿であれ、そこらかしこに存在するのであると考えます。原型は「八百万の神」にあり、その意味では一神教に至らぬアニミズムの世界でしょう。その根底にある宗教観をあえて言葉にすれば「受け入れ、しかして囚われず」と云うことであると思います。先進国の中では珍しい国ですが、これは何教でしょうか? あえていえば「自然教」でしょうか。

とはいえ、その豊かな「自然」を破壊し続けている現状を考えれば、その日本人の「たおやかな」宗教観も劣化して来ているのでしょうか。万葉集に見られる、古来より日本人が持っている「あるがままに感じる」感受性を以って「大和心」をコアとした「大和経」とでも新たに呼んで、今一度、この恵まれた自然を大切にする動きがいずれ起こってくることを期待しましょうか。いや、もう起こっているのかもしれません。

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