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思い その45「組織は腐る… まさに…」


会社昨今、と云うか、かなり以前から「組織」というものがおかしくなっています…。会社と云っても良いのかもしれません。会社とは "company" で、本来的な意味としては「生きていくための共同体」と云っても良いと思います。しかし、そこに「序列的な構造=ヒエラルヒー」が生まれ、そのダイナミズムは頂点を「支配」とし、それより下は「被支配」として沈殿し続けたようです。その姿を「共同体」と呼べるのかどうか…。

随分と以前からTVで会社のトップがズラリと並んで「申し訳ありませんでした」と一斉に頭を下げる様子を何度、目にしてきたことか…。

で、相変わらずです。近い所では「杭打ちデータ改ざん」…。某旭化成建材だけではなく、その後もその疑惑がぞろぞろ出てきているようで、そら恐ろしいなんて表現よりも、呆れてしまうという表現よりも、会社とその構成員の劣化、人間の劣化という言葉が当てはまると思います。某東芝の粉飾決算、某フォルクスワーゲンの排ガスのデータを改ざん等々…。

これらは今に始まった事ではないと思いますが、では、いったいいつから始まったのか? 極論を言えば、人間が社会活動を営み始めた遥か太古から連綿と続いているのでしょうか…。騙す、詐欺、嘘をつく、誤魔化す、などの言葉が最近生まれたものでないことから考えれば、人間はもともとそうしたものであるのかもしれません。しかし、それは個人の「欲」から生まれ、ある意味、「世渡り」のための必要悪であったのかもしれません。これは否定も非難も憚られます。ところが、昨今起こっていることは、近代社会の「豊かさ」の中で起こっています。生きる事に追い詰められて、やむを得ず、といった図式ではないでしょう。

例えばフォルクスワーゲンですが、個人的にはこの車に長く乗っていた(古い時代の車が好きでしたが)ので、心情としては好意的なのですが、今回の「排ガスのデータ改ざん」には少なからずのショックを覚えました。「好きなメーカーだから故に」というのではなく、「本当にバレないと考えたのだろうか?」ということに、です。かつてあれほどに素晴らしい車を作り上げた英知の塊が、こんな「アホ」と吐き捨てたくなるようなこと(詐欺)を堂々と組織ぐるみで行ったことに、猛烈なイメージのギャップを覚えるのです。旭化成建材にしても、会社として大手という以外、特に何のイメージもありませんが、ここもまたしかりです。こちらの方が直接人の命に係わる事なのでかなり悪質でしょう。かつての「姉歯事件(建設データ偽装)」を思い出します。

こうした事には「非難」するより、「何故?」の気持ちの方が大きい。平気でそうした詐欺行為を、かなりの社会的責任と存在感を持っている筈の会社組織が行ってしまうのは、何故?

例として、大戦後のニュルンベルグ裁判を思い出します。ナチスの将兵たちは、同じような答えをしたそうです。「上に従っただけだ」。一見まともな言葉のようですが、異常です。この言葉の中には「自分」というものがありません。故に、罪の意識とか悔恨の情など微塵も見えません。つまり、人を殺すのも、他国を破壊するのも「従っただけ」であると云う事であり、判断などは全く個人として「無い」ということです。全ての将兵たちがそうであったわけではないでしょうが、残念ながら「自分」を維持できていた人は少数派だと思います。理不尽に対して、「自分の声」を圧し潰すしかないでしょう。

昨今の不祥事に食傷気味ながら、その原因に同じようなことを感じてしまいます。「誰にも自分の良心も判断も無く、上からの指示に従う」。これは、戦争と同じような構造ではないですか。なぜそうなるのかを脱力感の中で考えてみても、大した答えは出てきそうにもありませんが、「依存」という言葉が浮かんできます。もっとゲスな言い方をすれば「寄生」。

本来は「共生」の筈であった組織が何故、「依存」と「寄生」で満ち溢れ、劣化し、腐ってしまうのか…。そこにある頭脳は決してオソマツなものでは(多分)ない筈なのに。まさに「ピーターの法則(補足説明※11)」でしかないのでしょうか。「組織は腐る」「組織はいずれ無能で満たされて安定する」…。

となれば、われわれが住む「共同体」である「国家」という大組織も「腐る」のでしょう。児戯にも等しい嘘を並べ立てるだけの「無能で満たされた安定」の形で…。それを唯々諾々として受け入れるのが嫌なら、「組織」を離れてしまい、「個」として生きていくしかないのでしょうか。「共生」のための手段を捨てて。

ここで少々「現実的」に考えれば、会社という、組織の代表のようなものから、「正社員なるもの」が駆逐されつつあり、「非正社員なるもの」がいずれ半数を超えるとか(正だ非だなんて根拠のない言葉ですが)。ということは、「組織」に対しての「非」が増えるわけですから「個」が増えるとも考えられます。私としては、誤解を恐れずに言えば、それは好ましいことであると考えます。もちろん、「個」として生きていくには生活に多くのリスクを背負うでしょう。「依存」できる相手は探してもいない状態となります。

とすれば、「上に従う」などという場面は無くなり、むしろ「批判」が多くなるのでは? その方が健全であると考えてしまいます。私はフリーランスなので縁はありませんが、最近、周りに「定年」なる時期を迎えた者が多くなってきました(私もそういう世代に近づいているのでしょう)。さてさて、「依存」するものが無くなります。が、虚脱なんてしてないで、これまでの「劣化した組織」に代わる新しい「共生」の形を見つけるチャンスですよ。すぐにバレるような「亭主の浮気の言い訳」をしている「組織の中」より、ちょっと苦しいけど、景色として「健全」です。

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