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思い その4「応援するチームが負けると、何故、落ち込むのか…」


球場スポーツは見るのもやるのも大好きです。今ではそれほどアクティブなものは体がきついので(歳)あまりやりませんが…。専ら、観戦を楽しむ方ですね。特に野球が好きですが私の出身地は瀬戸内海沿岸の某地方都市ですから、プロ野球でどこのファンかは大凡お察しのつく通りですが。

昔は東京の某球団のカードしかテレビで見る事は出来なかったのですが、今はケーブルテレビで好きなチームの試合を見る事ができますから、良い世の中になったものです。

で、今ではほぼ全試合見る事が出来るのですが、百戦百勝のチームなどあり得ません。勝てばうれしいし、負ければ悔しい。落ち込みます…。で、負けが込んだとき、テレビのニュースを見る気にもなりませんし、新聞を読む気にもなりません。連敗が続くと我が家は情報過疎状態になります。

そんな時に思うのですが、いくらファンのチームとはいえ、負けたところで自分の生活に何の影響もないし、生活が苦しくなるわけでもありません。そう思って「平気になろう」とするのですが、そうはうまくいきません。何もかもがつまらなくなってしまいます。改めて考えてみると、どうしてでしょう?不思議な感じがします。

野球だけではありません。例えば日の丸を背負ったチームや選手はどうしても応援してしまいます。日ごろ、サッカーはあまり興味が無いのですが、全日本になるとテレビにかじりついて応援してしまいます。で、負けるとテレビも新聞も見たくなくなる。家庭はノーメディア状態になります。

それを不思議と考える方が変でしょうか? 私は彼らと直接の知り合いでもなければ、利害関係者でもありません。彼らが負けると私の収入が減るとかであれば、のっぴきならない事ですが、関係ありません。勝っても、何か得になる事がある訳でもありませんので、これまた関係ありません。

しかし事実は、勝てば大騒ぎするくらいに嬉しいし、気分が高揚します。逆に負ければ口をきくのも億劫で、気分が沈み込みます。その原因を一時期は「ナショナリズム」的なものであると考えていました。国だけでなく、地域も含めて。ファンというのは「趣味」ですから、「趣味とは平和的(人畜無害)に偏見を楽しむこと」と、理屈好きが勝手に定義して、得心していました。

しかし、それだけでは「情けなさ」等の感情、時には自責の念(俺の応援が足らないから、って、可笑しいです…?)までともなって落ち込むことの説明が十分にできません。ファンであるチームが負けると何故あれほどに苦しいのか? 自分の事であるように。

結局行き着いたのは「感情移入」という人の力です。大辞泉には「自分の感情や精神を他の人や自然、芸術作品などに投射することで、それらと自分との融合を感じる意識作用」とあります。愛用の新明解さんには記述がありませんでした(かなり古い版だからか…)。

これが答えでしょう。要するに、スポーツ観戦であれば、応援している選手に、まさに「自分の感情と精神を投射して」「融合している」のです。そこでは選手が主体で、見る者が客体とかではなく、同じものになっている。

嬉しさも悔しさも、まったく同じものを共有してしまっている訳です。人にはそれだけの力が「精神」に備わっているのです。たとえ自分が野球の大打者になれずとも、その打者と融合同化することができるのです。ナショナリズムなどは所詮、「変その3」に書いた「優越の錯覚」程度のものでしかないように思えます(厄介なものではありますが…)。

考えて見れば確かに不思議です。全く自分とは異なる相手と「感情的、精神的」に融合する力を人は持っている訳です。スポーツファンというものを考えているとここまで来てしまいました。

と、ここで更に思考が暴走します。この「感情移入」って力、「憑り付かれる、憑依される」力とも考えられませんか? そうなると、ヤバイ…。スポーツ程度で収めておきましょう。

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