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思い その3「人が人を貶めるメカニズムは? いじめの本質」


学校新聞やテレビで「いじめ」なる言葉を聞かない日は無いと言っても良いのではないでしょうか。ちなみに、私は高校の時、教師を目指して大学の教育学部に進みました。ちょっと気恥ずかしのですが、その動機は、自分が受けてきた「いじめ」の経験から、そういった弱者を守りたいと、真面目に考えていたからです。結果的には教師になっていません。理由は、東京に出てきて本来的な志(って、若いからけっこう熱かったのですが)が、都市独特の多様性にカルチャーショックを覚え、アチコチにダッチロールし始め、全く予想もしていない方面へ興味が向いてしまったためです。

ただ、教師を目指していたころの事を思い出すと、(私にしては)かなり真剣で、笑われるかもしれませんが正義感のようなものがエンジンになっていました。まあ、今はただのオッサンですが。仕事もテキトーですし。

で、言いたいのは「いじめなんて、今現れたものではなく、ずっと昔からありましたよ」って事です。しかも、陰湿さは今のいじめに引けはとりません。色々とそれなりに「いじめ」とやらのメカニズム、何故起きるのかという事をできる範囲で調べてみましたが、社会学的なアプローチが殆どですね。

私は社会なるものが「いじめ」の主たる背景とは考えません。「いじめ」が大きくクローズアップされ始めたのは、「いじめが原因で自殺」という見出しで、マスコミの報道頻度が高くなったからでしょう。確かに子供が自殺してしまうなんて尋常な事ではありませんが、「いじめ」そのものと「自殺」に強い因果関係があるとは思えないのです。どういう事かといえば「自殺」は多分に病理学的な領域にあるもので、「いじめ」は今起こったものではなく、人そのものにそもそも由来している事であると考えているからです。

誤解を恐れずに言えば、「自殺」だけに関しては確かに社会的な背景があると思います。つまり、病理の根本原因が社会の在り方に深く関わっているからです。例えば、貧困など昔からあります。特に珍しい事でもありませんでした。それに比べれば、今はとんでもなく豊かな社会です。自殺は「社会と自己との関係性」の中で起こり得るものと思います。簡単に言えば、「個人>社会」ではなく、「社会>個人」となった時に増加するもので、要するに社会の中で自己の希薄化が起こる病理であり、明確な自己否定、もしくは適応障害状態で起こり得るものではないかと考えます。これは、大人も子供も関係ないですね。個人の精神が未成熟云々などは相対的なもので、問題は絶対的な構造にあります。単純な例を出せば、先進国ほど自殺率が圧倒的に高くなる。That's allです。

問題は「いじめ」の方です。これは防げるはずなのです。こちらの方は常に「人対人」の問題で、圧倒的な社会が圧し掛かってくるようなレベルのものではありません。もっと身近なもので、「変その3」で取り上げた「優越の錯覚」とほぼ同根であると考えます。優越感の方は大脳生理学の立場からドーパミンという脳内物質に着眼していますが、事が行為に及ぶ「いじめ」はもっと単純に理解できるはずのものと思います。

ハッキリと言います。人にとって「人をいじめるのは気持ちいい」のです。人はそういう加虐性(被虐性もあるようですが…)を生物として持っているのです。そうではない精神性を先天的に持っている子供(人)もいるでしょうが、ここではその精神の未成熟が絶対的なものとして問題となります。子供の持つ「残酷性」は十分に知られていることで、これは未成熟故のものです。困った事にそのまま大人になる人もいるようですが。

「いじめ」と似たような例としてナショナリズムがあります。自国に誇りを持つのはいいのですが、多くが他国の排撃、他国を貶める偏狭な行為に走ります。これは麻薬のような高揚感を伴い、一見正統性があるように見えますけど、本質は極めて陰湿な「優越、選民的」意識故です。これも個人に由来するものと言えるのはそれが「一般意思」から「全体意思」(補足説明※6)へと移っただけのことで、社会そのものは関係ないと思います(弱者のテロリズムはちょっと性質が違うのでここでは取り上げません)。

つまり、故司馬遼太郎氏の言葉を借りれば「われわれは訓練をしてでも人に対する優しさを得なければならない(言い方は別として、大意としてはこのような事)」という訳で、未成熟に対しては「矯正」しかないのです。教育が甘くなって、好々爺の如くなってしまった事に原因があると考えます。

だって、簡単じゃないですか。「人を害することは犯罪」ってのは当然の事でしょ。その当然のことを教育の場で正視し、対応しないから「いじめっ子」や、同質の「モンスターペアレンツ」を生み出す訳です。

体罰が問題になっていますが、それは「暴力」と明確に弁別すれば、「悪い事をしたら罰が与えられる」ってのは当然の事ですよ。悪い事をしようとしている子供がいたら「腕づくでも止めよう」としませんか? 繰り返しますが「いじめ」は防げるはずです。いつまでたっても根絶できないのは、何もしてないからと言わざるを得ません。

みんな、いやな事ですが「他人の不幸は蜜の味、いじめるのは気持ちいい」というのをまず認めて、それを客観視すれば「どれほど陰湿で恥じ入る事」であるかが分かります。いや、分かる筈です。

私が変だと思うのは、「いじめ」に対し、同情ばかりして、具体的な行動が教育の場で行われているとは見えない事です。被害者を放っておいて、加害者に気を使ったり…。一応、教員の話も聞いています。

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