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思い その14「同棲のススメ 好きだから一緒にいる …です」


2人このテーマは「変」の編に書こうとしたのですが、けっこう偏向するかもしれませんので、そういう時はこちらに…(ってのは自分のルールなのですが)。変だと思うのは、時々、「安定した稼ぎが無いから結婚できない…」「結婚する資金がない…」というような事を耳にすることがあり、それを「何で…?」、と感じる点です。偏向しそうと思うのは、確かに私の考えは「社会的」ではないかも、と少々弱腰(情けねぇ…)だからです。しかし、思い、考えとしては昔から持っているものなので、書きます。

学生の頃、「結婚(婚姻)の定義とは」ということで「男女が、経済的、法的(社会的)、性的に結合する事」と習った記憶があります。私、それにズッと違和感を持っていました。性的というのはすぐに納得できます。経済的というのも、まあ、所帯を持って一世帯という単位になる、ということで理解もできます。しかし、「法的」「社会的」という所に全くの違和感を覚えるのです。確かに社会の中に住んで法的な義務(権利も)を持って生きている訳ですから、それはそうなんでしょうが、結婚なるものに対する私自身の考えにおけるプライオリティ第一である「定義(って程のものでもないですけど…)」と全く次元が違うからです。

男女が何故一緒になるのか? それは「お互いが好きで一緒にいたいから」に他なりません。それを「結婚」と呼ぶならそうでしょう。しかし、それを百歩譲って「法」などに関わる事であるとは全く考えません。結婚しようがしまいが、法との関わりに違いがある訳でも無し、ましてや「金銭的な問題」で「結婚が難しくなる」などとは、「何で…?」以外の何ものでもありません。お金が無かったら、何で一緒になれないの。好きなんでしょ? お互いに? 結婚なんて形に意味あるんですか? アパートでも借りればそれで成立。結婚式をやりたいのならお好きに、ですが(あんなもの、二度とやりたくない…)。

それに、結婚する事で「法的」「社会的」に何か変わる事があるのでしょうか? 「社会的」というのは不可避なものとして多少理解はできますが、これは「世間体」という事でしょ。世間様に、結婚した男女(夫婦)として認められるという事、それは確かにありますが、一緒になる男女がそこに頓着しなければ、関係ありません。頓着しない、というより「その世間様を向こうに回しても平気」という事でしょう。確かに世間様というのは不条理(陋習)の塊で、けっこう「キツイ」ものですから。しかし、この世間様が「何か助けてくれるのか?」といえば、「負担ではあっても、助けにはならない」場合が多い。そもそもが「人の社会性」というのは、「生物的」なものですから、逸脱する確率は一人でも二人でも一緒です。

私の「結婚」なるものの定義は、「結婚とは好き合った男女同士が一緒にいたいから一緒にいる事」。殆どこれが全て。で、「一緒に住めば、一緒に同じご飯を食べるから、経済的には一つの単位になる」で、これは必然。「法的」って、何かありましたっけ? 婚姻届? 財産所有の問題? 将来の相続の問題? 苗字? 子供の教育? 致命的なものってありますか。今や婚外子も法的に認められる時代です。バツイチ、バツニ、「事実婚(補足説明※22)」が大手を振って歩ける時代です。こんな時代にイチイチ結婚に「金が…」とか「安定した収入が…」とかが原因で「結婚できない」などというのは、ホント、「何で…?」です。

とにかく一緒になればいいのです。「同棲」でいいじゃないですか。お互いが「個人として社会的、法的、性的に独立した人格」を持ったままで一緒になればいいのです。「じゃあ、お前は同棲なんてしたことあるのか」と聞かれれば、男らしく(?)「当然!」と答えます。このコンテンツを家人に見られて問い詰められても構いません(できれば避けたい…)。「じゃあ、なんで今は結婚しているんだ」と聞かれれば、これまた男らしく(?)「成り行きのたまたまです」と答えます(首を洗っておきましょう…)。

だ・か・らぁ、言いたいのは、「結婚できない」の理由には「相手がいない」か「一人でいたい」という理由しかないという事です。そうした人が多くなるのは致し方ない事ですけど、好きなもの同士が一緒になるのは「何にも縛られない自然な事」です。勢い余って行き過ぎますけど「同棲」は「同性」でなくても構わないのです(オヤジギャグではありません)。

最後にインテンショナル(意図的)・ダッチロール! 別に「一夫一妻」などと、「一汁一菜」のようなものを、私は価値観としても道徳律としても持っていません。身体がモツなら、誰が何人と一緒になろうが問題はありますか(まあ、けっこう揉めるでしょうけど)? そこの自由を失ってしまったら、そもそもの社会を成り立たせている最小単位が「個人(=社会ではない)」に近づいてしまい、本当の意味での「自己疎外」が起きてしまいます。つまり、「社会が横断的・相互的な活力を失ってしまう」という事です。現実にそれが起こっていると考えています。まずいでしょ、これは。

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