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思い その10「人物本位? 何ですか、それ? 基準は…?」


選べぬ育ち このテーマについて書く事に少々迷いましたが、書きます。最初は「変」の編に書こうと思ったのですが、どうも話が脱線しそうな予感がしますので、こちらに書きます。この編はそうしたテーマを書くために設けましたから…。

国の教育再生実行会議は現政権の力瘤が入った、いわゆる「肝入り」なのでしょうけど、色々とやってくれます。道徳を教科に取り入れるのは賛成なのですが、それを「点数化」しようなどとの試みは無条件で笑ってしまいました。儒教教育でもして科挙(古代~近世の、中国の官吏登用試験)を導入しようとするのなら分かりますけど、それは別の機会に書きたくなるかもしれません。今はタイトルにある「人物本位」とやらを大学入試に取り入れるという理解不能な動向に頭が???なので、こちらから。

百歩譲って、考え方としては分からなくもないのですが、「人物本位」って、ご近所同士の付き合いとか、子供のころからの友達、って世界なら個人の価値観として成り立つと思います。これは人の好悪も含んだ主観に任せても問題ない事ですが、そもそも不特定多数の「人物」を相手に、誰が、何を評価するのでしょう。大学入試ですよ。1年くらい試験官が一緒に暮らしてみるのでしょうか? 「人物」をどう客観的に評価などできるのでしょうか。知識や、理解力、学習度合は客観的に評価できますが、「人物」なるものは無理でしょう…。「容姿端麗」とか、「性格明朗」とか、「探究心旺盛」とか、「家庭(育ち)に問題がない」とか…。後学のために、その評価の基準とやらを聞いてみたいものです。

ハッキリ言って、無理ですよ。入社試験とやらがそんなことやってますけど、結局は短い時間で「人物」なんて分からない事、認めています。だから、必要悪として「コネ」が暗黙の了承となっている訳で。まあ、会社の場合は能力が高かろうが、扱いに困る「人物」は敬遠したい訳で、そうなると、頭のレベルより「無難な人物」の方が良いという事になります。これは仕方がないでしょう。企業の自由です。で、学歴主義を排するなんて言っても、ちゃんとチェックしてますから。「能力」だけなら外部を使えばいいし。

ちなみに私は、学歴主義が必ずしも悪いとは思っていません。「人物」がどうであろうと、間違いなく「ある程度、頭の努力」はしている訳ですから。基準にはなるでしょう。「人物」って事になると、これは余程の慧眼をもってしてもその実際の所は見抜けませんよ。

学歴といっても、実のところ、「親の経済力」が大きな要因となっていることはデータでも現れています(補足説明※20)。親の経済力と子供の学力はほぼ比例しています。これは今更の事ではありません。1970年代、OECDの視察団が日本を訪れて、その感想を色々と残していますが、その中に「日本は世界で最も平等な国だ。どんな貧しい家の子供でも努力して良い大学に入りさえすれば立身出世ができる」、と述べた言葉があります。それに日本人自らが反論しています。政治家だったか、ジャーナリストだったか忘れましたが、「とんでもない。貧しい家の子供は教育環境にも機会にも制約がある。結局、親の学歴による経済力がその子供の学歴となり、引き継がれる」と答えています。今でも当然そうでしょう。

では、学歴社会が格差を生んでいるのだから、その障壁を取るのに「人物本位」は良い事ではないか、と突っ込まれそうですけど、それは間違いで、「人物本位などでそもそもの格差は解消されない」と言いたいのです。それどころか「人物本位なるアヤフヤな基準を設ける事で、ますます格差は固定されてしまう」と考える訳です。問題の本質は「経済格差」にあります。これは今も昔も変わりません。それ自体を解消するのは難しいでしょう。

が、そこに「人物本位」を持ち込むと、ますます、子供時代の経済格差が露骨になり、固定化すると考えます。ハッキリ言って人物本位とは「見た目」「育ち」となるでしょう。貧しい子供時代を過ごした者はどうしても「社会」「世間」なるものに対して鋭敏となります。世間様の「建前」や「嘘」に敏感となり、従順となるか攻撃的になりやすいと思います。それはおそらく「見た目」に出ます。また、その「育ち」など、人に知られたくもないでしょう。

そんな中で、多少の苦労は厭わずに一発勝負をかけて学歴を手に入れようと考える者にとっては、点数主義の方が遥かに「平等」です。「人物や育ちなんか関係ない! 自分の能力を見てくれ!」という気持ちが強いと思います。教育の世界に「人物」なるものを持ち込んで、一体、何が「生産的」となるのでしょうか。「巧言令色鮮し仁(口先巧みで、周りから好かれようとする者に、人を思いやる気持ちは少ない)」なんて言葉が浮かんできます。

恐縮ながら、自分の経験も多少あります。家庭の事情は置いといて、経済的にはとても進学できる環境に育っていませんが、参考書も買えず、塾などとんでもない中で、地方から出てきて、東京の少なくとも(当時)偏差値65~70の大学を授業料も自分で工面し、仕送りも無しで卒業しています。「人物本位」なんてやられると、そんな一発勝負の「平等」も失われ、陋習である内申書のようなもので人を見られてしまいます。事実、中学校の時、自分はこの内申書(家庭に問題あり、とか…)が酷かったらしく、公立高校普通科は全て門前払いでした。教師の不用意な言葉で知った事実ですけど。内申書などは、ネガティブチェックの塊で、差別としか言いようがありません。

理不尽は何にでも付物ですが、「人物」なる「偏見」を含むものより、「点数」の方が実践的で生産的と考えるのが間違いであるなら、学力の低下を問題視するのはやめましょう。大学の力が衰えるのは別の、もっと構造的な所にあると思います。それは、あらゆる組織の「怠慢」であり、「疲弊」です。

ちなみに、私情故の意見ではありません。本当に問題なのは教育の「内容」と社会に事実としてある経済格差による「教育機会の喪失」を極力緩和することが「教育問題」の本質であると考えます。点数で敗れた競争なら発奮もするでしょうけど、「人物」で決められると、とんでもない恨みへつながります。

やはり、「人物本位」なんて、超ド級の「変」。

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