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怖い その73「サービス消費の中でおかしくなる脳 命への愚鈍化」


親子 イメージいきなり能書きのような事を書きますが、本サイトの本編は「怖い」をテーマとして掲げていますが、単純に「怖い話=怪談」的な話を書こうと思って作った訳ではありません。もちろんそれ的な記事もありますけど、基本的には「人がどうして怖いという感情を持っているのか」「怖いとはいったいどういうもの、ことなのか」「何故怖いのか」といった、「怖い」という感情の「そもそも論」を、学者でもない頭で普通に考えてみようと試みているのです。破綻、行き詰まり、勘違いは覚悟の上。何故ここで改めてこんな能書きを垂れるかといえば、その理由は次のようなものです。

「怖い」の本質は「人間」そのもの。一番「怖い」のは人間そのもの。

で、「命への感受性の鈍化」や「命への畏れ無き行為」などをテーマにした記事をいくつか書いていますが、「幽霊」とか「怪現象」とかを突き詰めていくと、「人の怖さ」があからさまになってくるのです。ちなみに「恐い」という現実的な「暴力」とか「威嚇・恫喝」といったものもありますが、そういったものとは次元の違う、「人間」が持っている根源的なところにある、「原始の脳」ともいうべきところに収まっている本能的な「怖れ、畏れ」を「怖い」というテーマの中で主に考えていこうというのが基本方針です。

いきなりの能書き、失礼。「人間」は動物であり、ですから、ご多分に漏れず「自己保存本能」を有している筈です。しかしながらそれは「社会的動物」である以上、その「社会」と「自己」とは不可分となります。であれば、人間の「自己保存本能」は「=社会保持本能」でもあるとも考えられます。具体的に言えば「他人の命に対する感受性(思いやりとか)」であり、「自分だけでなく他人の命をも守る」ものでなければ「人間の自己保存本能」は成立しないことになります。一人だけで「社会」とはなり得ませんから。しかしながら、このような当たり前のことが崩れようとしている気が強くします。

事は些細なことかもしれませんけど、最近、車の中で「LPGガス」を使ったスプレー缶(冷却スプレー、エアガンのガス補充缶等)が破裂する事故が増えているようです。実際の件数はデータが無いので分かりませんけど、JAF(一般社団法人日本自動車連盟: JAPAN AUTOMOBILE FEDERATION)の発表では確かに増えているようで、同団体では注意を呼び掛けています。破裂した缶が車の天井に突き刺さったとか(実際、WEBでその画像を見ました)、車の中を冷却しようとしてクーリング効果のあるスプレーを使用した後にエンジンをかけて、爆発が起きたとか(全身火傷の被害もでているとか)。JAFの実験によると、35度にもなる真夏の気温の中で、車内の温度は50度以上になる場合もあり、ダッシュボード辺りでは70度以上にまで達するようです。それは何度も報道されている事なので、今更「知らなかった…」ってな人は少ないと思いますけど…。それだけの温度であれば、熱中症でお年寄りや子供が命を落としている事実も、ニュースで何度も耳にしている筈です。

しかし、そんな高温の車内で、ガス缶が破裂するどころではない「人や動物が死ぬ」という事件が後を絶たないのは何故なのでしょうか。ある事例では、パチンコ店で、犬6匹くらいを車の中に放置して、その6匹が全て熱中症で死に、飼い主が「悲しい」と言って、その6匹の犬の遺骸を並べて写真に撮り、その画像をSNSに投稿し、かなりの非難を浴びたという記事がありました。その飼い主にとって、犬を車に放置した事も、その遺骸の画像をSNSにアップした事も、普通の「人」の行為なのでしょう。私自身は「寒気」を覚えるほどに、その行為に「怖さ」を感じ、吐き気さえ催します。

また、某パチンコ店で、車に放置した子供が熱中症で命の危険に晒されるのを防ぐために、お店に「救出のため、車の窓ガラスを割る場合があります」ということをポスターで告知したそうです。それがネットで話題になって、「(車の窓ガラスを)割っていいのか」「託児所をつくれ」などとの批判と、「子供の命はガラス1枚より重い」という賛意等々諸々の意見が寄せられたそうです。で、実際に女児が車に放置されていてグッタリしているのを見つけ、窓ガラスを割ろうとした見周りの者に、たまたまでしょうけど、戻ってきた親が「短時間じゃないか」「子供はこんなことで死なない」と、逆切れされたとか…。これまたそこに、寒気を覚えるような「怖さ」を感じてしまいます。人に対して…。私は「子供の命はガラス1枚より重い」と当然思いますし、もし窓ガラスを割って子供を救ってくれたら、親は感謝するのが当然であると思いますけど…(まあ、車内放置自体が親の資格無しだと思いますが)。

冒頭に述べた、人間が持っている「社会性」として「自己保存」と「他者保存」とを両立させるという理屈は間違っているのでしょうか。そうとは思いません。決して大袈裟ではなく「他者の命に鈍感となる=社会が機能しなくなる」方向へと世の中が向かっているとしか思えないのです。もしかしたら、現代社会は生活にしても娯楽にしても「サービス消費」の社会であり、「サービスにお金を出している自分に、何か害の及ぶことは無い」という、「正常性バイアス(補足説明※50)=自分は大丈夫と思う事。根拠無しに」が蔓延しているのでしょうか。子供がいると「自由にサービスを享受できない」という理由で、死ぬかもしれない車内に平気で子供を放置していくのでしょうか。子供を虐待するのも同じ心理からでしょうか。「命に対しての脳の愚鈍化」がもうどうしようもないところまで来ているのでしょうか…。

どうしてもこの言葉にしか行き着かないのです。

「怖い」の本質は「人間」そのもの。一番「怖い」のは人間そのもの。

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