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怖い その70「もう引き返せない 車が支え、壊れていく生活」


最期へ向かう道これは「生きている人間」が対象なので、「恐い」の方ですかね。しかし、そこにはジワリと染み出してくるような「怖さ」を感じてしまうのです。日常の中で、外を歩いている時や、家で何気なく考える時にふと…。考え始めたのはある二つの出来事を目にした時からです。一つ目はまず、それがおかしい事であると気が付くのに、ちょっと時間がかかりました。横断歩道で赤信号が変わるのを待っている時、向かい側で待っているのは歩行者のはずですよね。しかし、そこで信号を待っていたのは何と、軽自動車だったのです。横断歩道の方を向いて、歩道のド真ん中に停まって信号を待っているのです。

あまりに堂々としている(?)ので、それがおかしいと気付くのにワンテンポ遅れましたけど、周りの人も同じだったのか、次第にその車を変な目で見つめて左右に退いて行き始めました。もちろん、私も腰が引けて…。その車に乗っていたのは明らかに男性の老人。悪びれたような様子もなく、無表情…。私の近くで信号を待っていたおばさんが口に出します。「何で車が、…?」。そうなんです、おそらく周りの皆もその光景を変だとは思っていたのでしょうけど、何と言っていいのか、戸惑っていたのです。

信号が変わりました。車も動き出しました。まだ右折なり左折なりして車道に出るのなら、どこかの駐車場から出てきてショートカットするのに歩道を来たのか、なんて思えるのですが、何と、車は人と同じくらいの速度で静々と横断歩道を渡ってくるのです。もう周囲の人は完全にドン退き。そして、横断歩道を渡り終えた車は、その歩道を直進して行きます。ゆっくりと…。もう、危ないとかどうとか思う以前に、目が点。その状況を理解するとすれば、一つしかありません。「認知症」のご老人が車で「徘徊」している…、と。歩道をしばらく行った車は、ふと止まり、振り返るような感じで車をゆっくりと空きスペースでバックさせて、車の正面を車道の方に向け、そのままジッとしていました。もしかしたら、自分の置かれている状況にやっと気が付き、戸惑っているのでしょうか…。

そこで、その車をジッと見ていても仕方ないし、警察に電話、なんて積極的には思えませんでした。他の皆も、それぞれに横断歩道を渡って行きましたが、私は車が行った方向とは逆の方向でしたので状況は分かりませんけど、チラリと振り返ると、車は歩道に停まったままでした。この件を笑い話として処理できるでしょうか。近くにいた者たちは「何もなかったことにして…」ってな感じで、それぞれの方向に向かって行きました。私もです。歩道に停まっている車に、特に興味も示さず…。確かにそれだけの事で、人身事故でもなく、交通違反は違反ですけど、あの年寄りにどう文句を言っていいのか分かりません。車は、自分が歩行者であるかのように、ゆっくりと動いていましたから。今は、停まったままです。私も、角を曲がって、その車がどうなったか分かりませんけど、特段、事故がどうのこうのともその後、何も聞こえてきません。何かあれば、近所の事ですから、話題になる筈です。

二つ目の出来事は、郊外のスーパーで見かけた光景ですけど、よく駐車場でのバックに手間取っている車って、見かけますよね。その時も、軽トラックがなかなか駐車域にバックで入れず、モタモタとしていました。で、私、少し離れたところにいたのですけど、運転手を見るとけっこうな年配の方で、何と、片手が何かの病気の後遺症なのか、ハンドルも握れずにブルブルと宙で震えていました。その隣には、覚悟を決めたような顔で、奥様らしきお年寄りが座っていました。私、それを見て、代わりに車を駐車域に入れてあげようかと思いましたが、何とか、やや斜めながら、駐車できたようでした。「片手で、お年寄りが車をバックさせるなんて…」。おそらく、相当に難易度の高い操作でしたでしょう。先の例と合わせて、どのような事故が起きても、不思議ではありません。

以上、二つの出来事で感じたのは「なんで、そんな年寄りが車を運転しなければならないのか…」という疑問です。その答えは考えてみれば簡単でした。車が無いと、生活に困るからです。つまり、日々の買い物に車を使わなければならず、歩いて行ける所にお店が無いのでしょう。田舎ですから、スーパーまではけっこうな距離があります。私の住んでいるところはまだましな方ですけど。もし、車が無くて運転もできなければ、毎日の食料品や薬なども買いに行けない田舎はたくさんあります。歩いて行ける近所にお店は無く、広域な商圏をもつ大型・中型のスーパーや量販型の店舗しかないのです。昔の、生活圏にあった商店街は、軒並み全滅で「シャッター街」。昔は買い物といえば、買い物かごを持って、近所のお店に行ったものです。しかし、今はちょっと遠いスーパーであれば、車が無いと買い物ができません。

そういう生活の社会になってしまったのです。車という便利なものが、生活をそのように変えてしまったのです。高齢者に「免許の返上」をと、警察は言います。しかし、高齢者のみの世帯だと、車が無ければ物理的に生活を営めない現実があるのです。体が不自由になろうが、認知症気味になろうが車の運転は「死活問題」なのです。最近はケータリングとかスーパーからの配達というサービスも色々とあるようですが、まだまだ現実への対応としては不十分でしょう。

流通が広域化し、ワンストップショッピングという便利さで、それを中心とした街作り。車というレジャーでも生活でも使える便利な道具が、その先まで考えていない街作りのデザインを描き、歳を取った者の生活を壊し始めているのです。誰も例外ではありません。昔あった「隣近所のコミュニティ」という生活単位はもう殆ど壊滅状態でしょう。私が住んでいる近くの商店街は、無人の通路と化しています。昔は近所の人たちが徒歩で買い物に来て、相当に賑わっていたそうです。そこには車を停める設備などありません。その時代と今の時代と、毎日の生活の質がそれほど違っていたとは思えません。

車という便利な道具が、身近な生活、そして社会を確実に壊しています。そして、それはもう引き返せないほどに社会の構造を大きく変えて、地域のコミュニティはほぼ全滅…。ふと目にした二つの出来事が、そんな事実を教えてくれます。誰も、逃げられない現実を。歳を取ればドンドンと阻害されていく社会を一生懸命に働いて、みんなで作り上げたのです。いえ、快適さを求めて作っていたはずなのに、気が付いたら自身の生活を根本から壊していた…。この問題には特効的な「解」は無いでしょう。順番に皆、歳を取って、生活に困る環境へと確実に追い込まれていくのが、この社会です。

無人のシャッター街を歩く時、かつての商店街の喧騒をそこに被せて思い出す時、「もう、そこには戻れない」ことを同時に思い起こし、先に朽ちた街に続いて朽ちていく人間の姿が、見えてきたとしたら、「怖い」という感情から逃れられない日常が見え始めてくるのでしょう。なぜなら、最期の姿がそこに見えるからです。

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