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怖い その67「天安門事件 問題は犠牲の数か! 人の尊厳も個もそこにはない」


天安門広場WEBのニュースや新聞記事で、あの「天安門事件」での死者数が「1万人」に及んだ可能性があると、当時の英国駐中国大使が本国に伝えていたという事が書かれているのを目にしました。英公文書館が機密解除した外交文書で明らかになったと、英国や香港のメディアが報じたようです。「天安門事件」の事は広く知られていると思いますが、事件の概要を説明すれば「天安門事件」は二つあるようです。一つは1976年4月5日に天安門前広場で起きたもので、その年に亡くなった周恩来を追悼するために民衆が捧げた花輪を当局が撤去しようとして民衆との衝突が起き、数か月に及ぶデモなどの反体制運動により、それを「反革命運動」とみなした当局の弾圧によって300人余りの死傷者が出た事件です。こちらは民衆の「四・五運動」とも呼ばれ、中国での民主化運動の嚆矢となった事件です。そしてもう一つは1989年4月、同じく天安門前広場で起きた民主化運動です。

中国共産党の改革派指導者だった胡耀邦・元総書記が死去し、その追悼集会をきっかけに、民主化を要求する多数の学生による大規模な運動に発展し、天安門広場での座り込みなどで当局に対抗しましたが、鄧小平ら中国共産党の指導部はそれを「動乱」と断じ、6月3日夜から4日未明にかけて軍を投入し、動乱の制圧を図りました。当時、当局は死者を319人と発表しましたが、実際の犠牲者ははるかに多かったとされていました。あの、戦車の前に立ちはだかった学生の姿は映像として記憶に残っている方が多いと思います。彼らは無抵抗であったはずです。こちらは「六四天安門事件」とも呼ばれているようです。便宜上「四・五」と「六・四」に分けますが、この事件に共通するのは中国共産党に対する民衆や学生の「民主化要求」です。で、それを「反革命運動」「動乱」といった暴動の様な扱いで当局が多くの民衆・学生を自国民でありながら「虐殺(武器も持たないものを大量に殺す)」したという事です。

この二つの事件で誠に皮肉なことは、「四・五」では「文化大革命」で独裁的な地位を得ようとしていた四人組(江青、張春橋、姚文元、王洪文:江青は毛沢東の四番目の嫁さん)によって鄧小平が失脚するという結末となり、「六・四」では、その四人組を追放して復権した鄧小平の命令によって多くの学生が当局によって虐殺されたという、「中国ならではの」と言いたくなるような「その時のご都合」で多くの人の命が失われているという事です。まあ、鄧小平はどちらにも絡んでいるのですが、もともと四人組と対立するようになったのは「文化大革命」のやりすぎを是正しようとした毛沢東が、周恩来とともにその是正を図るために鄧小平を登用したのに、コンビを組んでいた周恩来の死去とともに「四人組」の反撃を受けて失脚します。が、毛沢東の死後に「四人組」を潰して(逮捕)復権し、中国共産党のトップに上り詰めます。相当にしぶとい政治家ですが、今の中国の経済的発展とナンチャッテ(チョットだけ)民主化っぽい雰囲気を作ったのは鄧小平です。で、その前に、天安門広場前で「民主化運動」を行った学生たちを虐殺したのも鄧小平です。

「六・四」の天安門事件で中国当局は、その事件での死者を319人と発表しています。それが、イギリス側の公文章では「少なくとも1万人」と報告されていたという事です。319人が死亡した「動乱」と1万人の死者が出た「動乱」を見間違えるでしょうか? が、その答えは「藪の中」でしょうね。そんなものより大きな数字が「藪の中」に埋もれています。それは旧帝国日本軍による「南京虐殺」でのMAX30万人(中国当局発表)という死者数です。20万人という数字もあります。これも中国当局の発表です。さすがに最近ではその数字のリアリティは薄れているようですけど、日本側の研究者の間でも1万人~10万人と諸説あります。諸説あるという事は、いくつかは「嘘」という事になります。が、真相は殆ど「藪の中」。「南京虐殺」は捏造との説もありますけど、南京で日本の帝国陸軍と蒋介石の国民党軍が激戦を交えたのは事実でしょうから、捏造説は無いでしょう。と言いたいところですが「虐殺」とは対象が「民間人=非武装民」ですから、軍隊対軍隊が闘って死者が出てもそれを「虐殺」とは言わないでしょう。中国の古代戦争史に残る「数十万の生き埋め虐殺」は、武装解除させた敵兵に対して行われたのでこれは「虐殺」です。が、これまた、歴史の「藪の中」…。

「南京虐殺」とは、民間人を対象にしたものです。が、そのMAX30万人を主張する「中国共産党」ですが、あの時に南京で闘っていたのは「中国国民党」です。そのヘッドは蒋介石。彼は南京に留まってはいなかったようですが、その戦いは知っていたはずです。であれば、蒋介石がこの「南京虐殺」について語るのは必然的なことです。旧帝国日本軍を糾弾するために。しかし、蒋介石が「南京虐殺」について語ったという記録はおそらく、無いと思います(私が知らないだけかな…?)。蒋介石は戦勝国側ですから、戦後処理に有利となる旧帝国日本軍の「悪行」を政治的なカードに使わないという事は考えにくい。しかし、そのカードを使っているのは、旧帝国日本軍とは殆ど戦っていない「中国共産党」です。彼らの国(中華人民共和国)は1949年に建国された国です。で、もっと素朴に疑問なのは、当時の南京市の人口はどれくらいだったのでしょうか? 自分の国でもない中国共産党が正確に把握していたのかどうか…。あくまで説として聞くところでは、全盛期に100万人いたそうですが、戦時にはその半分程度で50万人、旧帝国日本軍が攻めていったときには20~30万人程度であったとか。当然、正確な記録はありません。

20~30万人と言えば、日本でもちょっとした地方都市規模です。その住人を全て殺害するとは、旧帝国日本軍はどのような「兵器」を使用したのでしょうか? 虐殺は不謹慎ながら「行為」です。であれば、その方法が明らかにされるべきです。もし旧帝国日本軍が「原子爆弾」を持っていたとしても、30万人は無理でしょう。資料を見ると、日本刀を振りかざしている帝国日本兵の姿を見せられますけど、日本刀は人を数人切ればもう使い物にならないでしょう。よほどの達人で刃筋が神業的であってもどれだけの人を切れるのやら…? この辺り、書きながら怖くなってきて、腹の底からゾッとしてきます。機関銃でやったとしても、それだけ都合よく人がその前に集まってくれるでしょうか。機関銃も打ち続けていれば銃身が焼けて、最悪暴発です。30万もの人間をどのようにして…。

「天安門事件」にしても「南京虐殺」、もしくはそういった事実が「藪の中」の出来事で死者の数がただの数字として語られていく時、どうしようもない「人としての哀しさ、情けなさ、切なさ」を感じてしまいます。そして、これ以上もない「怖さ」を…。そうした数字の中に、もし自分が入っていたとしたら…。私はただの骸の一個でしかなく、いえ、一個でさえなく「おそらく○○万人」の適当な数字のブレの一部にもならないような存在になるのでしょう。刀で切られて死ぬ者、銃で打ち抜かれて死ぬ者、爆弾で吹き飛ばされて死ぬもの、原子の火に焼かれて死ぬ者…。それを行う者に人の姿を認めることはできません。それを「数字」で語るものに、人の姿を認めることはできません。319人~1万人、数万人から30万人。数ですか…。「人が人を殺す」という絶対悪の中で、「人の尊厳、個」が数字として弄ばれているのには、どうにもやりきれない気持ちだけしか湧き上がってきません。

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