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怖い その64「幽霊より生きた人間の方が怖い この出来損ないの生き物」


考える 昔、ビルの宿直のバイトをやった時、最初は真っ暗なビルの中を深夜、定期的に巡回するのにかなり怖い思いをしましたが、やがてそれは慣れてきます。真っ暗な中で懐中電灯を頼りに各部屋をチェックして回るのですけど、なんというか、最初のころは、人が本能的に持つ「怖さ」、アッサリと言ってしまえば「幽霊」に対する怖さの様な怯えがどうしても湧き上がってくるのです。しかし、これは次第に慣れてくるものです。そんなものを気にしていてはバイトとはいえ仕事になりません。すぐに平気になりました。すると、今度は別の「怖さ」が現れてきます。それは、「生きている人間」に対する怖さです。つまりは「泥棒」とか「放火魔」とか言った類のものですが、これは幽霊なんかと違って、物理的な「害」をもたらします。まあ、よく考えてみれば宿直という仕事自体がそういったものに対する「警備」的なものであるわけです。その時代にはまだ、今のような警備システムといったビジネスが整備されていません。

で、バイト期間中に「害」をなすような輩には遭遇せずに済みましたが、そのバイトが終了したとき、もう二度と宿直や警備の仕事はしたくないと思いました。毎夜、人に対する「怖さ」が拭い切れず、身構えて過ごす一晩はけっこう疲れるものです。もちろん、都市伝説の様な怪談的話はそのビルにもありましたが、それはそれ。裏の焼却所から赤ちゃんの骨が見つかったとか、それが毎夜、鳴き声を上げるとか、まあ、怖くなかったといえばウソになりますが、現実の「被害」が想定される人間よりもマシでした。ちなみにその話は本篇の「怖いその13」「怖いその14」に書きましたので、興味がある方は是非ご覧ください。

話を本題に戻します。最近、あることをキッカケにつくづくと思ったのですが、「人間というのはなんという『出来損ない』の生き物であるのか」。故に、「完全な生命体」として、「エイリアン」とか「ターミネーター」とか、金属生命体である「トランスフォーマー」とやらもそうなのか、そういったものを創り出すのでしょうか。もっとも、その出来損ないぶりを笑ってしまうというものもありますが。例えば、落語やギャグマンガなど。しかし、そこに登場するのはその「出来損ない」故の「弱さ」や「不条理」をストーリーの中に含み、それが話のコアとして「人間味」なんてものになるのでしょう。しかし、ひたすらに救いようもない「出来損ない」ぶりを露呈し、お話にもならないことがあります。その代表は「戦争」でしょう。規模の大小を問わず、行われていることは「訳の分からない憎しみ合い」と、それゆえの「殺し合い」です。つまりは「殺人」。

「命に対する感受性」なるものがこの「出来損ない」生物の顕著な特徴でしょう。他者に対して過剰に持ってしまう者…。自分自身にだけで、他者に対しては全く持てない者…。前者は時に「社会的な息苦しさ」につながり、後者は「精神のモンスター」を生み出してしまうのでしょう。いや、両者は同じものかもしれません。そう思えます。なぜなら、人間は「自殺」もするし、「他殺」もしますから。私はこれを「同根のもの」「位相として同じもの」と思います。共通するのは「自他」関係なく「命を軽んじる」、もしくは「命を何とも感じない(極端にはサイコパス:補足説明※55)」ということでしょう。

話が何やら抹香臭くなりそうですので、前述した「キッカケとなったあること」について書きます。同様のことは何度かあるのですが、特に顕著であったことを…。駅を出て、自宅へ向かう道に入りますがこの道の交差点がけっこう狭い。気を付けていなければ車との出会いがしらの事故が起きます。事実、その交差点の信号から百メートル程度の間でよく交通事故が起き、目撃者を探す看板をけっこう見かけます。車が徐行すれば問題ないのですが、これが信号が変わった途端に突っ込んでくるのです。道幅が狭いので、殆ど歩行者の体すれすれのところを車が掠めていくような気分です。もちろん、徐行される方は注意深く通行人に気を付けて通過しますが。

で、ある日、その交差点をいつも通りに曲がって家に向かった時、交差点から数十メートル離れたところで信号が青に変わったのか、黒いワンボックスの車がけっこうなスピードで走ってきて、さらに加速するように飛んできます。道幅は狭く危ない。私、思わずその車に向かって「危ねえだろ! バカヤロー!」と怒鳴った途端、その車の運転手と目が合い、なんと、その運転手はハンドルを私の方に切って、ぶつかるギリギリのところでハンドルを戻しました。私、接触した(ぶつかった)と思いました。いや、衣服の一部にその車のどこかが接触していたかもしれません(サイドミラーとか…)。その車はそのままかなりのスピードで交差点を突き抜けていきました。私はしばらく唖然として、足が動きませんでした。あの一瞬、あの運転手は私の方へハンドルを切りました。動作としては簡単なことですが、一歩間違ったら、私は大怪我をしていたかも。もしくは…。そんなことを、車を運転するという安易な操作の中で、「殺人」とさえなるかもしれない行為を、平気でできる人間がいる。似たようなことはけっこうありますが、あの運転手にとっては「人の命に害をなす」可能性などどうでもよかったのでしょう。怒鳴られたことにムカついただけで、あれです…。もとより徐行などという法遵守は慮外のこと…。日常の中に、どれほどそんな人間がいるのか…。寒気がします。

いや、帰りの暗い道の中で、「幽霊」に百人会うより怖かった…。事実、人は人を殺すのです。自分さえも殺すのです。これ以上に「怖い」ことがあるでしょうか。人は社会的動物であるといいますが、そうとは思えない行為をやらかす「出来損ない」です。犬も社会的動物ですが、殺し合いはしないでしょ。それが自らの生物的破滅になることを知っているはずですから。しかし、人間は万物の霊長と言いつつ、それを知らない。人が殺しあう「戦場」の凄惨さを日本は世界的にも隠す傾向が強いそうです。しかし、その結果が「自分と他人の命の軽視」につながっているのでは。「出来損ない」が、永遠に「出来損ない」のままです。残念ながら、私もその一人…、か。

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