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怖い その53「幽霊はそこにいます 科学的に証明も否定もできない存在…」


考える 2016年3月5日の朝日新聞に「霊の存在を信じますか?」という記事がありました。タイトル自体は何とも古典的で、期待せずに読んでみたのですが、その問いに「はい」が49%、「いいえ」が51%、で、半々であるのがちょっと興味を引きました。以前のアンケート結果なんてのがありませんから比較のしようがないのですが、おそらく、「はい」が49%、つまり「霊の存在を信じる」人が49%というのは、けっこう「増えてきた」といえるのではないでしょうか。ちなみにN数(回答者数)は2,105人と記されていました。

で、「霊の存在を信じない」と答えた人の理由でもっとも多いのが「科学的に考えて存在するわけがない」って、これまた古典的なもの。あの、僭越ながら「不思議その1」と「不思議その2」で「幽霊はいるのかいないのか」という事を考えてみましたが、これはもう定番ネタですね。私の考えは、「否定できない」です。よく、「科学的に…」っていう人がいますが、これってかなりいい加減な言い方で、では「科学的に、幽霊はいないと証明してください」ってことになると、「いると証明する」よりも数学的(=科学的)には難しい問題となります。科学的に考えれば、「いるとも、いないとも決められない」のです。理由は前述の「不思議」の方の記事に書きましたので、興味がおありの方はぜひ。

「霊の存在を信じる」と答えた人の理由で一番多いのは「否定する理由がない」です。これは私も同じです。三番目に多い答えが「存在しないと説明できない」です。数学的にはこれが最も正しい答えでしょう。一番目とほぼ同じような理由ですが。二番目は「感じたことがある」で、信じない人の理由で二番目に多いのは「感じたことがない」。これはかなり曖昧ですね。どのように「感じるか、感じないか」の基準はありません。また、信じない人の四番目に多い答えは「肯定する理由がない」ですが、これって「否定する理由もない」筈で、信じる人の「存在しないと説明できない」と同じです(※理由は、それぞれ6つの中から三択)。

つまり、そもそもが「信じる、信じない」で幽霊の存在を図るのは意味があることとは思えません。哲学の「観念論(補足説明※46)」の立場に立てば、例えば「神」は「観念の中で存在する」わけで、世界の何十億人の人々がその存在に「疑い」などもっていません。もちろん唯物論的な無神論者もいますが。本来、「神」がいるかいないかなどは議論にもならないのです。違う神を奉じた者同士での喧嘩は昔からズッと続いていますが…。つまり、霊的な存在を頑迷に否定する人は、実は対象としてその霊的なものを認めているから否定するのです。何もないというなら、否定という行為も起きません。

記事の中で「たとえば『怖いから信じない』という人は実は信じているんです」という社会心理学者の方の言葉がありますが、これって「アンチ巨人は巨人ファン」って理屈と同じで、妙な説得力を持っています。その方は幽霊を見たことがないそうですが、人から「先生は信じますか」とよく聞かれるみたいです。「見たという人を否定はしないけど、私は見えない。だから私は判断をしない」と答えるしかないそうです。でしょうね。同じアンケートで「幽霊を見たことがある」と答えた人は6%。実は、私も幽霊としか思えないものを見たことがあります。人間的に信用できる者からも「見たことがある」という話を何度か聞いています。

私の経験ですが、「幽霊を見たことがある」人(私も含めて)の、けっこう共通するところは「怖いという感情をあまりもっていない」ということです。私は「幽霊」というものを考える時、それは「不思議」という感覚で捉えるべきと思います。「怖い」というのはホラーや怪談で誇張されたオドロオドロしい幽霊が対象でしょう。何らかの「理由」で現れる幽霊には「伝えたかったこと」「自分が死んだとは思いたくない」といった思念があるのだと思います。で、肉体を失った自分の存在を感じてくれる人の近くにその姿を現す。そこには「怖い」というより「切ない」「哀しい」感情を持ってしまいます。ですからこの記事は「不思議」の方に書くべきと思ったのですが、「霊の存在を信じない」人が半数いらっしゃるわけですから、その心理の内には「怖い」があると思い、こちらの方に記事を書くことにしました。不謹慎な気持ちではありません。幽霊に対して「怖い」という感情をお持ちだからこそ、「いない」という極めて「非科学的(検証していない)」「断定的」な答えになる人がいるのでしょう。

記事の中に「幽霊を見た経験」の話がいくつかありますが、それはここでご紹介するまでもなく、WEBで調べても数多くあります。その90%、いえ99.99…%が錯覚であったとしても、残りのわずかな事例をも錯覚であるとしなければ、完全否定できないのです。われわれには「怖い」という自然な感情があります。理路整然とした存在であればそのような感情は湧き起こるでしょうか? 「何だか分からないけど、あり得ない」という感情が「怖い」の本質であると考えます。故に、その感情から逃れるためには全否定しかなくなるのです。

まあ、このような「幽霊はいるか、いないか」なんてことは永遠に続くでしょうね。全ての人がこのことに無関心になったとしたら、幽霊とは「いるかいないか判断できない」「どっちでもいい」という、極めて自然で健全な存在になるでしょうね。そうならない限り、ほら、幽霊はそこにいます、よ。

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