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怖い その49「必ず会いに来るから、と言われたら丁寧にお断りした方が…」


会いに行くから人の死に巡り合うというのは、悲しいものです。それが親であれ、兄弟であれ、配偶者であれ、恋人であれ、知人であれ、友人であれ…。しかし、周りの誰も亡くならないということはあり得ません。不可避な事です。長く生きていればいるほど、それだけ、周りの人が亡くなっていくことに、どのような形であれ接していくということです。

特に長年連れ添った配偶者との別れは言葉に言い表せないほどつらいものでしょう。親もそうですけど。少し話が逸れるかもしれませんが、アメリカの調査で、「人生での最大の悲しみは」という問いに、「配偶者に先立たれること」と答えた人が圧倒的に多いというデータを目にしたことがあります。多分、それは日本人も一緒でしょうね。まあ、周りを見ていると、そうでもない人もいるように思えることもありますけど(失礼)…。

しかし、親の介護生活を何度も経験している者から言えば、相手が「生きている時」にこそ、自分ができることを精いっぱいやっていれば、別れの際にいくらかは悲しいという感情も和らぐものです。不思議と。

これは知人から聞いた話ですが、まだ若いご夫婦で、ご主人が重い病気にかかり、長い入院生活を続けられ、それを気丈に看護し続けた奥さんが医者から「もう長くはない」ということを告げられ、どうしていいか分からない時に、そのご主人から「心配するな。必ず会いに来る。いつもそばにいて、助けてあげるから」と言われたそうです。ご自分がもう長くないことを知っていたのでしょうね。奥さんはご主人からそう言われて、戸惑うとともに、ご主人を失った後の生活の事も心配だったので、その言葉に頷いたそうです。ご主人にしても病床の中での、精一杯の優しさだったんでしょう。

これだけでも目頭が熱くなる話です。が、後日談があって、本当に、いらっしゃったそうです。特に何かを話すとかということではなかったそうですが、ふと気が付くとそこに立っていたり…。で、ご主人が約束された通り、うまく仕事も見つかり、色々なことが上手くいって経済的な心配も無くなったそうです。

よかったですね…、優しいご主人で…、と普通はエンドマークが出そうなのですが、ちょっと困ったこともあったようです。二人にはまだ子供がなく、悲しみが癒えれば、また別の人、というのが一番良かったように思うのですが、頻繁に出てこられるので、他の人と、ってなことが憚られたとか…。他の男といたら、祟られたりして(不謹慎失礼)…。

それはそれとして、私の個人的な経験からも同じようなことがあります。例えば介護ですが、これは正直、子供としては避けられないもので、決して愛情故にというものばかりではないのですが、親にしてみれば「感謝」の気持ちを持つでしょう。「ありがとう。もし、死んでも、必ずお礼に来るからね」なんて言われたりしたら、返事に困ってしまいます。そのまま受け流していると、やはりいらっしゃいました。私の場合は、目の前に立っていたなどというリアリティのあるものではありませんが、何かの時にその気配を感じてしまいます。何かがコトッと動いたり、寝ている時に人の気配を感じたり。まあ、出ていらっしゃるだけですから、特に障りがある訳ではないのですが、正直、「出るだけなら…」と思います。

人の「思い」は死ぬ瞬間に強くこの世に残ることがあるとか。残存思念なんて言葉もあります。本で読んだ話だと記憶していますが、昔のある武家屋敷で奉公の者にとんでもない極道がいて悪さばかりしているのを主人が我慢の限界を超えて手打ちにしようとした時、その奉公人は主人を散々毒づき、「俺を殺したら、毎夜化けて出て、お前を殺してやる!」と言ったとか。そう言われた主人は、庭の石灯籠を指さして、「もし、おまえにそれだけの性根があるなら、首を討った時、あの石灯籠に喰らいついてみろ」と言います。その奉公人は「よし、石灯籠を噛み砕いてやる!」と奉公人が石灯籠を睨みつけた瞬間に主人はその首を一刀のもとに斬りました。すると、その首は数間(数メートル)先の石灯籠まで飛んで行き、石灯籠に喰いついたとか。

それを見た他の奉公人は仰天して、その武家屋敷には奉公人の祟りがあるとかで、誰もいなくなったそうです。夜になるとうめき声が聞こえるとか、天井から血が落ちて来るとか…、障子戸に人の姿が映るとか…。誰もいなくなった屋敷で主人は一人、何事も無かったようにそのまま生活していました。それを見かねた友人がその屋敷の主人を訪ね、引っ越すことを勧めると、主人は笑ってこう答えたそうです。「まあ、あれだけの執念を持っていたから本当に祟りを起こしたかもしれないが…」、そして庭の石灯籠を指さし、「私は奴の最期に、あの石灯籠に喰いつく執念だけを持たせて成敗した。奴の最期にはそれしか頭になかった筈さ。私への執念などない」と。

その主人の話が広まり、祟りなどは気のせいだったとして、奉公人たちも屋敷に戻り、またもとの武家屋敷での生活が始まったとか。

この話、人の最期の、死ぬ瞬間に放つ「思い」のようなものを現していると思います。良いとか悪いとかは置いといて。

もし、誰かの看病か看護をしていて感謝され、「会いに来るから」と言われたら、冷たいようですが、丁寧に優しくお断りしましょう。気持ちはありがたいですけど、怖いですから。「気にしないで、成仏してね」とか…。

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