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怖い その48「自分は正気を保っていると言いきれますか?」


正気日本は「神経症大国」である、という言葉を耳にすることがありますが、これは単に「気づかい」する場面が多く、「気疲れ」しやすい社会であると単純に理解することもできると思います。そもそもが「神経症(Neurosis)」なるもの、今で言う「統合失調症(昔は精神分裂症)」や「うつ病」程に深刻な症状を伴うものではなく、強迫神経症とか不安神経症とか呼ばれ、「ノイローゼ」と云う呼び名で広く「テキトー」に使われているもので、例えば「ヒステリー」が癇癪持ちのように使われたりするのと同じで、本来的な意味をあまりなさないため、今では精神病理的な領域からは除外されている言葉のようです。ちなみに「ヒステリー」は心的なものが身体的な不具合として現れるもので、かつては女性の専売特許のように言われていましたが、全くの間違い。男も同様に発症します。

経験的に今の「精神病理」に対する「治療」というのは、その殆どが「薬物療法」であると云っても間違いではないでしょう。真面目な精神科医は「問診」を重視して、患者に対する観察や分析を経て治療行為に及びますが、それはかなりの少数派で、カウンセラーも含め、日本の精神医療の現状はけっこう「お粗末」なものであると言わざるを得ないでしょう。

かつて、フロイトが「目に見えない人の心」の病に自然科学の手法を用いて、その病理と治療の体系を作り上げた事は、20世紀に於いての天才的な功績であることは間違いありませんが、未だに「精神」、人の心というものには不可解な領域がたくさんあります。

大雑把に人の精神を「健常(正気)」と「病気(不全)」とに分けたとして、その境というのは何でしょう。実はここが、とんでもなく広く、「境界線(ボーダーライン)」などと云って、例えで云えば全体の八割くらいがこの位置にいるのではないかと考えてもおかしくはないでしょう。その要因の一つとして、「ストレス社会」と云いますが、ストレスはあくまでも概念で「外的な刺激」と単純に規定すれば、これが0になってしまうと人の精神活動は著しく衰えてしまいます。ただ、過剰なストレスは本格的な精神病理の領域へ人を引き込むトリガーとはなります。

つまり、人の精神を考える時、それがどのような状態であるかを判別することは至難の事であるということです。「怖いその39」で「はげ頭論法(補足説明※41)」と云うパラドックスについて書きましたが、まさに「健常」と「病気」の間には明確な目盛など入れられないのです。まず、精神的に「健常」であるということが、例えば「道徳」なり「社会性(マナー)」まで含んでしまえば、「完全なる健常人」というのはどのようなモデルになるのでしょうか? で、もし、「反道徳」「反社会」を病理的なものとした時、人の持つ「創造活動」はどうなるのでしょうか。大凡、予定調和的なものとして「狂気(差別語かな…)」の世界であるとか、「破綻」とかで表現されるでしょう。波風のない平坦な所に創造は生まれません。

精神に「病」などは無いと云っているのでは全くなくて、病理としての領域はあっても、「健常」というものの弁別が殆ど不可能に近い位「境界線」がベラボウに広いということです。「アイツを殺してやりたい!」とか「死んでしまいたい…」「あいつはバカだ。消えてしまえ」「ぶん殴ってやりたい」なんて、思った事も無いという人の方が少ないのではないでしょうか。しかし、思ったとしても実際の行為に及ばなければ、その「精神性」、「正気」とでも云えばよいのか、それを疑われることはありません。しかし、そうした行為に走る「予備軍」でないとは言えません。

ちょっと極端な例を挙げた方が分かりやすいので、「戦争」ということを考えてみます。この世のあらゆる欺瞞と悲劇を集めたものが戦争であることは間違いありません。「正しい戦争」なんて断じてあり得ません。で、その戦争とは「人と人が殺し合うこと」です。日常生活の中でそんな事、想像もできませんが、戦争の中ではそれが当たり前の事となります。まさに「狂気」の世界。その中で、「正気」を保つということは、その戦争を「おかしい」「間違い」と言えることだと思います。そういう人は確かにいますが少数派でしょう。どうあれ、大量に「人」が殺される毎日が続いて行きます。

もし殆どの人が精神的に健常で「正気」を保てているならば、どのような状況であれ、戦争は極端にしても「人を殺す」「自らを殺す」事などは起こり難いでしょう。しかし、実際の社会は全くそうではありません。「犯罪」を起こす者を、特別に「正気を失っている」「精神を病んでいる」からとは断定できません。「犯罪者」とは「やってしまった」者たちです。

自分の精神の中に、いつ現れるか分からない「狂気」が全くないと言い切れる人はどれくらいいるのでしょうか。常に「正気」を保てる人がどれほどいるのでしょうか。おそらく、残念ながらそれをデータとして可視化することはできないでしょう。自分自身も他人も、その狂気の種を持っていると考えたら、それは「恐い」でもあり、「怖い」という感情が湧き上がってきます。おそらく普段は心の中に頻繁には浮かんでこないでしょうが、一旦、何かの事件、惨事のニュースを耳にすると「怖さ」が膨れ上がってきます。他人だけにではなく、自分自身にも…。

ニュースで何か事件があって、犯人の近隣者、知人がよくインタヴューで「そんなことをする人には思えない」「あの人が、まさか…」「普通の人が」「驚いている」と答えるのをよく耳にします。しかし、事実、事件は起きています。ある人の言葉ですが「幽霊や河童なんて怖くはない。一番怖いのは人だよ」。この言葉、否定したいのですが、否定する理屈がありません。

果たして、私自身も「自分は正気である」と言い切れるのでしょうか。根拠のない優越感・劣等感、憎しみ、嫉妬、欲求…、そういった諸々のものを自覚し、呑みこんだうえで。

人の心の中に潜んでいる「狂気」は、どんな天才学者でも引き摺り出せないでしょう。考えてみれば、分からない事だし、これほど「怖い」ものはないかも…。幽霊なんて可愛いもの。

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