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怖い その21「人から聞いた話ですが、何故か、かなり怖かった」


人の手これはけっこう昔に、聞いた話なので、誰から聞いたのか、自分が何かで読んだのか、正直、記憶が曖昧です。中学か高校の頃だったと思うのですが、ハッキリとしません。しかし、その話を聞いて、その時は「他愛もない話」と思っていたのですが、思い出すと、何故かけっこう怖くなってきます。

話自体は単純です。以前にも書きましたが、昔の古い田舎家はトイレ(便所)やお風呂が母屋とは別に建てられている家がありました。もちろん、皆そうではなく、特に田舎のお百姓さんの家で、敷地が広い家にそういうパターンが多く、私の母方の実家もそうでした。今は建て替えて昔の面影はまったくありませんが。私が聞いた話はそんな造りの田舎家での事です。

勝手口から庭に出ると、納屋のような建物があり、その中がお風呂でした。脱衣所のスペースと風呂場が分けられていて、今の家のお風呂のように明るくはなく、けっこう薄暗かった記憶があります。聞いた話ではその人も子供の頃、そういった風呂のある田舎の親戚の家に行って、母親に連れられて入り、その母親に体を洗ってもらっていたとか。

私もそうでしたが、10歳にもならない頃は、母親の膝に乗せられ、仰向けになって頭を洗ってもらっていました。まあ、この形は今でも一緒でしょうが。風呂場には木の簀子が置かれ、風呂は五右衛門釜(ご存知?)の場合もあれば木の場合もありましたが、木の浴槽は据え置きで、その下に排水溝があります。私の場合も、その人の場合もそんな木造りのお風呂でした。

で、本題ですけど、その人がいつものように母親の膝に仰向けで乗せられ、頭を洗ってもらっている時、その目線は天井、壁、首を回して簀子の方とかを見回している筈です。子供ですから大抵、ジッとはしていません。親に、怒られながら頭を洗ってもらう訳ですけど、その人(子供)の目がふと、浴槽と床の隙間に行ったそうです。そうしたらそこに…。

「人の手」が出ていたそうです。子供というのは不思議なもので、大人であれば、そんなものを見てしまった場合、「ギョエー!」となるのですが、私も経験がありますけど、あり得ないものを見た時、意外と何にも感じないで、そのまま受け入れてしまう事があります。言ってみれば、キョトンとした感じでしょう。その人もその手首が風呂桶の下から出ているなんて、そんなものを見たのに何で自分は騒がなかったのか、不思議に思われたとの事です。

これって、分かります。子供はまだ色々と「常識」が頭に溜まっていないので、何が変で何が変ではないかをまだ明確に区別ができません。それで、その手が見えた事を誰にも言わなかったそうです。それ以後、たまにその風呂がある親戚の家に行って、やはり母親と一緒に風呂に入ったそうですが、それ以後は手や、他の妙なもの(手の次には足でも見えそうですけど…。顔でも出てきたら…)は何も見なかったそうです。

で、大人になると今度は「そんな話、誰も信じてくれないだろう」と思い、まさに誰にも言わないでおくのです。年を経て、その田舎の親戚の家が建て替えをする時にその古式ゆかしい風呂場は無くなったそうです。もうすでに物置代わりになって使っていなかったようですけど。

で、風呂場を解体したら、そこから人骨が…、なんて予定調和的な事は無かったという事です。まあ、そこで誰かが死んでいたとかいうオチは欲しい所ですが、特に何かの因縁があった訳でもなかったと。

それだけの話なのですけど、私、この話をかなり怖く感じます。理由は「出たー!」とかいったものではなく、日常の何でもない風景の中に、それほど派手ではないにしろ「あり得ないもの」がそこにあった…。

そうなんです。「怖さ」のコアには「あり得ないもの」というものがあると考えます。どう理解していいのか分からない。受け入れられない。もしかして…それが「怖い」の本質であると考えます。まさにこの話はその典型だと考えます。日常の風景の中に、さりげなく「あり得ないもの」がそこにあった。

どこで出会うか分かりません。そんなものに…。怖い…。

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