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補足説明※41「はげ頭論法」


補足 【はげ頭論法】

■「はげ頭論法」なるものをどこで聞いたのか読んだのか、記憶は定かではありませんが、あまりにも分かりやすい説明なので「定義」が曖昧な問題の時によく例えとして使います。つまり、パラドックスの一種で、はげ頭というのは「毛が一本も無い頭」のことを云うのか「毛が少ない頭」のことを云うのか、定義が曖昧です。「毛が一本生えていても、それははげ頭である」とすれば、いったい「何本」毛が生えている所から「それははげ頭ではない」となるのでしょう? 物事の境界の曖昧さをこれほど見事に表現している論法は無いと思います。

■で、改めて本当にそんな面白い「論法」が一般的であるのか調べてみると、なんとWikipediaに明確に記述されていました。大笑い。URLに日本語が含まれていますので、詳しく知りたい方は「砂山のパラドックス」でWEB検索してみてください。

【砂山のパラドックス】

■この「砂山のパラドックス」は「はげ頭のパラドックス」から派生したものだそうです。なんと、ギリシャ時代の哲学から生まれたもので、「はげ頭」のもとは(一般に)古代ギリシャの哲学者、ミトレスのエウブリデスが作ったとされているようです。私はこの「はげ頭理論」、そんな由緒正しいものではなく、気の利いたギャグのひとつのように思っていました。で、「砂山のパラドックス」も、「砂山から砂粒を一つづつ取って行った時、最後の一粒が残った状態でも砂山と呼ぶのか」、というもので「はげ頭」と論法は一緒です。

■他にも似たようなものがありますが、私としては「はげ頭論法」が一番分かりやすい。髪がフサフサの頭から毛を一本ずつ抜き取って行った時、何本目を抜き取った時からからそれは「はげ頭」となるでしょう。

■これほどさように、明確な「区分」「定義」というのはむしろ稀であり、アヤフヤであることの方が多いということです。例えば、「プラトンの雄鳥」という逸話がありますが、プラトンが「人間とは二本足で体に毛が無い生き物」と定義したのに対して、樽の賢人と称されたディオゲネスは、雄鶏の羽根を毟って、「これがプラトンのいう人間だ」と揶揄したといわれています。われわれは日常の中でもけっこう曖昧に「ソレがアレして」的なニュアンスでコミュニケーションしています。物事はその殆どがかなり曖昧で、明確な境界線などそうそう引けないということです。逆説的に言えばそれゆえにコミュニケーションが必要であるということでしょうね。

■余談ですが、それゆえ私は個人的に「二元論」「ニ分法」なるものに違和感を感じます。

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