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補足説明※39「ゲシュタルト心理学」


補足 ■「ゲシュタルト心理学(ゲシュタルトしんりがく 独:Gestalt Psychologie)」とは、心理学の一学派で、人間の精神、つまり、人間として自他を認知する力を、「部分や要素の集合」ではなく、その「全体的な構造」を軸として捉えます。この「まとまりのある構造」をドイツ語でゲシュタルト(Gestalt :構造、形態)と呼ぶことから学派の名前となっていて、構造心理学とか呼べばそれらしいイメージになると思うのですが、この言葉はどうも日本語にストレートには訳しにくいニュアンスが含まれているようです。例えば、「容姿」とか「格好」とか。「体つき」という意味もあるとか。ちなみに「ゲシタルト」と表記されることもあります。

■この「ゲシュタルト心理学」では、人間の認知(知覚)は、パーツパーツ個々によるものではなく、全体としての「構造、形態」として捉えられるとしています。話が逸れるようですが、例えば「位相幾何学」で考えれば、(有名な例えですが、多分…)「ドーナッツ」と「コーヒーカップ」は同じ形状として捉えます。ドーナッツは「輪っか」という一つの形を持っているが、コーヒーカップは「カップ部分」と「取っ手」部分があるじゃないか、と言われそうですけど、両者を粘土で作ってみれば分かります。要は「穴の開いた形」なんです。で、一見「位相幾何学」も「ゲシュタルト心理学」も、どちらも対象を「全体」で捉えているように思えますが、違います。

■「ゲシュタルト心理学」でいう「ゲシュタルト崩壊」とは、コーヒーカップのカップ部分と取っ手部分が別々のパーツとなって、対象の「全体としての統合」を失う事です。そうなると、位相的には「コーヒーカップは丸い球二つ」となります。「里」という字が「田」と「土に」、更にはただの「縦の線」と「横の線」に分かれてしまいます。もう位相としては捉えられても、「意味性をも構造として含む形状」には見えません(認識できない)。

■人が「ドーナッツ」と「コーヒーカップ」を別々のものとして認識できるのは、「形状」を全体として「まとまった構造」と認識できるからです。そうでなければ位相幾何学で云う通り「穴の開いたものか」「空いていないものか」、「閉じたものか(中空ボール)」「閉じていないものか(パチンコ玉)」と云ったようにシンプルな認識となります。確かにその通りなのですが、世の中のものは「実際にはパーツとパーツ(部分の集合体)」で出来上がっています。文字などはその最たるものでしょう。「AとD」、「GとI」など、位相幾何学的には同じでも、それを「違う字」として認識できるのは人間はそれを「構造、形態」として捉えることができるからです。

■ここで明確にしておきますが「位相幾何学」での形状と「全体的な構造」としての形状ではその意味するところが違います。「位相幾何学」では空間(次元ですね)の中での相対的な形状を数学的に捉えますが、「全体的な構造」とはパーツ個々を見るのではなく、言ってみれば「絶対的な形状」として事象を捉えます。ですから「AとD」を違う文字、「GとI」を違う文字(位相的には同じ)として認識できます。「位相」と「構造」は違います。人間自身を「位相」で捉えれば、落語ではありませんが「穴の開いた筒」となります。

■メロディもそうですが、周波数の変化はあっても、空気の振動という現象(位相)では「一本繋がり」です。どの部分をとっても同じ。しかし人は「メロディ」としての「構造」を認知します。だからこれだけバラエティに富んだメロディが存在します。

■分かりやすくしようと思って極論的に「位相幾何学」を持ち出しましたが(分かりにくい?)、もし人間がそんな位相的認識をしたとしたら、世界は「閉じているかいないか」だけのノッペラボー(全て同質の構造=構造が無い)になるでしょうね。人間が多様性のある世界を認識できるのは「まとまった構造」を把握できる能力故です。これが現代の「認知、知覚」の基本的な考え方となっているようです。

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