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変 その53「ウヨ? サヨ? 右翼・左翼 真ん中は?」


椅子「変」と言いきれるほど変でもないと思ってはいるのですけど、違和感を覚えてしまうものはけっこうあります。その一つに「右翼・左翼」なるものがあります。今では「ネトウヨ」とか「ネトサヨ」とか、インターネットの上でも二つに分かれているようですが。

まず、なんで違和感を持つかと云えば、本サイトのコンセプトでもあるのですが、個人的に物事を真っ二つに分けてそれぞれの「立場」で考えることに抵抗があるからです。つまり、二元的、ニ分法的、二項対立的なものがどうにも受け入れがたいのです。まあ、「赤勝て、白勝て」とか「勝負」ってなものなら二ついないと成立しないので、そういうものまでどうのこうのということはありませんが(当たり前)、つまりは何某かの「対立軸」を設ければ、例えば議論やものの考え方として区分しやすいということがあるのでしょうけど、それだけのこと。

最初から立場なり考えなりを二つに分けてどちらかの立場に立つというのは、例えば、料理の名前を考えてから、その料理法を考えるようなもので、どうにもミョウチクリンなものに感じてしまうのです。

「右翼・左翼」なるものの言葉の由来は、フランス革命後の国民議会での座席位置で、革新または急進主義が「左翼」、保守が「右翼」と呼ばれた事にあるということはよく知られた事実であると思います(イギリス議会の初期でもそうだったように記憶しています)。まさに "Left-wing and Right-wing" で、野球じゃねえっ、って突っ込みたくなります。ちなみに「保守」に対する「革新」的な意味合いで「リベラル」なる言葉を使う(マスコミも)人もいますが、ちょっと違うでしょ。リベラルはもともと「自由主義」で、政府からも自由であることを求める姿勢です。

議会での議論なら「見解の相違」によって分かれてしまうと考えればそれはそうでしょう。しかし、もし「議論」に対立軸が無くなって、全員が右に行ったら、それは相対的に「真ん中」ということになります。それが「全会一致」ということであればよろしいのでしょうが、これはこれで何か気色の悪い「大政翼賛会」のようなものにも見えてしまいます。

では「右翼・左翼」という立場があったとして、その真ん中は? 以前に、ある政党が「中道路線」ということを言い出しましたが、「中道」は仏教用語で、簡単に言えば「何にもとらわれず、偏らない」姿勢を意味し、似たような言葉に「中庸」があります。これは儒教から来ている言葉で「過不足なく偏らない」ということで、日常的な言葉に置き換えれば「ちょうどよい塩梅(あんばい)」ということでしょう。

と、ここまで書いて、「だから何が言いたいの?」って言葉が聞こえてきそうですので、お答えします。「右・中・左」というのは「相対的方位」です。東西南北のように「絶対」ではありません。ですから、その時々に応じて、どのような位置にも立てるのです。これって奇妙じゃないですか。例えばパネルディスカッションで、賛成・反対、どちらの立場でも主張ができるという議論のトレーニングがありますが、それはつまり、議論の対立など極めて「恣意的」であり、「賛成でもあり反対でもあり、反対でもあり賛成でもある」ってなものだと思います。

つまり、議論としての対立はあったとしても、その行き着くべきところは常に「正しい」こと(真理なんて言葉は使いません)である訳で、右と左がクンズホグレツするのはその「過程」であるに過ぎない、ということです。まあ、それが原因で「殺し合い」まで発展することもありますけど…。

「議論のための議論」となっていることが非常に多いように感じます。特に私が違和感を持つのは、その対立軸に「イデオロギー」や「宗教的」なものが絡む時です。これは「永遠の平行線」ですね。そもそも一つに収斂され得ない事で立場を異にして争うなど殆ど無意味。とはいえ、世界中で起きています。

何ででしょうね? 理由はもちろん軽々と出せません。金持ちと貧しい者とでは「議論」などなかなか成立せず、もうこれは「対立」しかないでしょう。フランスの啓蒙家ヴォルテールの、「私はあなたの意見には反対だ。だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る(I disapprove of what you say, but I will defend to the death your right to say it.)」という表現にこそ、右も左も無い「話し合い」ということが成立する姿勢が見られます。「議論」と「話し合い」をもし違うものとすれば、相手をまず「受け入れることができるかどうか」で僅かながらの、しかし結果的には大きな差が生まれると思います。もちろん、相当に難しい事ではあります。

「右翼」だ「左翼」だとか、「保守」「革新」だとか要はスティグマ(烙印)のようなものじゃないですか。私自身も何か言った時に、どちらかの烙印を勝手に押された経験がけっこうあります。差別に近いですよ、これって。私はどっちでもない。それは「私の意見・考え」です。意味が無いと思えば「無視」するだけでいいのです。「右翼・左翼」などは、あるイメージをもって「その姿を強調」する「象徴的存在(補足説明※38)」の典型です。

この違和感に答えを出そうなどとは思っていません。ちょっとだけ本音を云えば、「右翼」も「左翼」も本質的な差は殆ど無く、「帰属感」だけの問題だと考えます。もし、この問題に一時の本質なるものを感じたいと思えば、天才バカボンのパパの言葉が出てきます。

「賛成の反対」「それでいいのだ」。

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