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変 その50「お互いの姿が見えなくなってしまう社会…」


額縁今や特段の事でもないとは思うのですが、某新聞の「投稿欄」の記事を読んで、「やっぱ、変だよ…」と改めて感じてしまいました。

その投稿の内容をかいつまんで紹介すれば、ファミリーレストランで母親と子供数人、そしてお婆さんが食事をしている風景なのですが、親子ともども食事の最中、ズッとそれぞれがスマホを眺め、お婆さんは所在無げにこれまた携帯で誰かと話しているとか。つまり、食事の間、お互いが話をする事も無く、お互いの顔を見る事も無いということです。個人の自由でしょ、といえば誠にその通り。しかし、何ともミョウチクリンな光景だと思います。

食事は二の次、家族一緒(まあ、多分、家族でしょう)である事も二の次。その目はスマホの画面を見続けて、何を見て、どんなコミュニケーションがそこにあるのやら…。

特に珍しい事でもありませんが、その記事を見て、つい最近目にした事を思い出しました。家の前の公園で遊んでいる子供たちを見ていると、昔懐かしドッジボールを楽しんでいます。まだ、ボールを強く投げることや受けることができないのでしょうけど、楽しそうにキャーキャーと遊んでいます。思わずオッサンとしては、ボールの投げ方や受け方を教えてやろうかと、こちらも楽しい気分になります。その光景は、自分が子供であったころと全く変わっていません。

と、公園にあるベンチを見やると、そこに子供が5人ほど並んで座っていて、何やら手元に顔を落としています。ハイ、スマホとゲーム機のようです。誰の顔も隣の友達(多分、友達でしょう)の顔を見やる事もありません。ひたすら手元のスマホやゲーム機の画面を見つめています。こちらから見ると、年寄りが日向ぼっこでもしているような感じに見えます。お互いに話すことも無く、お互いの顔を見る事も無い…。まあ、それはそれで楽しいのかもしれませんが…。片や、お互いを狙い合って走り回り、ボールを投げ合う子供たち。片や、一緒にはいても一緒にいることに何か意味があるのかといった姿の子供たち。

見事なコントラストです。

しかし、その姿をどう理解すればいいのでしょうか。コミュニケーションの原点は「生身の人間」同士のコンタクトであると思います。私個人はいわゆる介護離職(サラリーマンではないから、離職ではないか…)で、もともとがフリーランスですから、いまや在宅ワークです。しかし、通勤という「仕事に通う」という事が、時間的にも距離的にも難しくはなっていますが、定期的に直接仕事相手と打合せの時間を持つようにしています。呑んで帰るだけの時もありますが(そっちが多いか…)。

日々の事はメールやインターネットのTV会議で済ませられます。しかし、やはり直接人と合ってやり取りすると、けっこうな「勘違い」に気が付く事が多い。例えば、相手の表情がよく読めなかったとか、合意したつもりでも実は話が噛みあっていなかったとか。もちろん、毎日会っていたとしてもそんな事はしょっちゅう起こりますけど、修正ができます。ネット越しのコミュニケーションでは意外とそれが難しい。

よく、ファストフードのカウンターで、アベックの男女が並んでスマホを眺めているという光景に出合います。電車で、座っている人、立っている人が殆どスマホの画面を眺めているという光景にも出会います。ハイ、人の自由です。

が、変。現実にあるものを見たり、沈思黙考したり、他人同士でも声をかけ合ったり、人を見て「こういう人なのかな」なんて勝手な想像をしたりとか、そういった事で「社会の時間」は作られていくものだと考えます。そこにあるのは「袖擦り合うも、多生(多少は間違い)の縁」も含めての、人と人とのコミュニケーションでしょう。

オヤジの愚痴っぽくなってきそうなのでこの辺にしますが、首を不自然に傾げて、至近距離に見えるスマホの画面には「どんな社会」が見えて、どんな時間が過ぎて、どんなコミュニケーションが成立しているのでしょうか? 分からない…。少なくともそこに「生身の人間」を感じることはないのでは…。

私、スマホは持っていません。必要ないので。

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