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変 その37「日本のSF 海外では好評なのに日本で売れない…」


日本SF「日本SF作家クラブ」という団体をご存知でしょうか。英名は、Japan SF Writers Association (略称JSFWA)。1999年には、「アメリカSFファンタジー作家協会(略称SFWA)」に倣って、英語表記に「Fantasy」を入れています。1963年に設立された、SF好きなら皆知っている「SF作家、科学ライター、ファンタジー作家たちの団体」で半世紀の歴史を持ちます。今は亡き小松左京、星新一、そして筒井康隆ら日本SF界の大御所たちは殆どが所属していますし、もともとが門戸を広く設けた団体であったため、漫画家や推理小説作家も所属していました。

30数年以上「日本SF大賞」を主催し、そのユニークさは、日本のSFであれば、メディアや芸術のジャンルに関わらず受賞の対象となり、SF小説以外にも評論やノンフィクション、漫画、映画、アニメが受賞し、ゲームも候補に上がったことがあるようです。対象は作品に限定しておらず、「はやぶさの帰還」「二足歩行ロボットASIMO」など、現実の出来事や製品も対象になるそうです。

もちろん、小説がその受賞の中心ですが、これまでにそうそうたる作家と作品が受賞しています。第一回の堀晃「太陽風交点」から始まり、井上ひさしの「吉里吉里人」、大友克洋「童夢」、小松左京「首都消失」、荒俣宏「帝都物語」、筒井康隆が朝日新聞に連載していた「朝のガスパール」、庵野秀明「新世紀エヴァンゲリオン」、萩尾望都「バルバラの異界」、特別賞で栗本薫の「グインサーガ」など、ビッグネームと呼べる作家群と作品群です。

これは確かSFマガジンで読んだと記憶しているのですが、「日本SF作家クラブ」の入会資格が「死んだ人はダメ」「宇宙人はダメ」「馬はダメ」「星新一(178cm)より背の高い人はダメ」「筒井康隆よりハンサムな人はダメ」「小松左京(自称85kg)より重い人はダメ」だとか…。冗談なのか、本気なのか…。しかし、先に述べたように門戸が広く、これは「日本のSF的なものを発展させるため」であり、ある意味「未来(その時にはない)と積極的、柔軟に取り組んで行こうとする先見性」であったと思います。この辺りに、兄弟サイトの「テキトー雑学堂:文学・評論その3」で書いた「日本SFのガラパゴス的進化」、よい意味での独自進化を促してきた要因があると考えます。

しかし、その「日本SF作家クラブ」がお家騒動を起こしているようです。入会は250名いる会員の3分の2の賛成で認められるそうですが、「日本SF大賞特別賞」を受けた編集者の入会が否決された事で露呈したようです。入会反対者には個人的な人間関係から反対した者もいるとか。まあ、作家なら編集者を好きな人はあまりいないでしょうからね。いじめられたかもしれないし…。しかし、その結果に憤った10人程度の会員が退会を表明したとか。

それを知った時、「やっぱり、そうなるのか…」と思いました。ピーターの法則(補足説明※11)ではありませんが「組織は腐る」。これはどうしようもない事なのでしょうか。設立当初は「日本独自のSF的創作の発展」を謳っていたのが、その理念も風化し、組織のための組織、サークル的な組織へと変貌する中で妙な「権威」が生まれて、一体、何のための組織なのか分からなくなり、お家騒動に終始し、それがくだらない事(人間関係など)であればあるほど根が深くなり、陰険となる…。あの「先進的でユーモアにあふれた」団体でさえ、そうなってしまうのか、と嘆きたくなります。

日本のSF作品は海外での評価が高まっているようです。翻訳点数も増え、海外での文学賞受賞、ハリウッドでの映画化など。それなのに、日本ではパッとしません。長年、「日本SF大賞」を支えてきた徳間書店もスポンサーを降りてしまいました(代わりにニコニコ動画のドワンゴがスポンサーになったようですけど)。日本人はSF嫌いなのでしょうか? そんな事はありません。TVのアニメなどやゲームを見てください。SF・ファンタジーの人気はむしろ高まっていると思います。しかし、文学は確かに一時期の小松左京や半村良、光瀬龍、夢枕獏、荒俣宏などのブームからは凋落傾向にあります。しかし、それは形だけであり、そもそもが「日本SF作家クラブ」が謳った「日本的なSF」は変幻自在に社会の中に浸透していると強く思います。

これは私見ですが、やはり、日本でのSFは「日本文壇」なるものから相変わらず、軽んじられています。こちらにも陋習と言いたくなるような「権威」が存在します。まあ、「権威」なるものが全て悪いとは言いませんが、偏った権威に本来的な機能はありません。まさに「偏見」の牙城となります。芥川賞とか直木賞といった既に「形骸化」したイベントですけど、SF的な作風の作品は絶対に受賞できません。若干ファンタジー風のものがあっても「純文学」とやらの冠をつけられます。ハッキリとSF的なものへの偏見というより「嫌悪」のようなものを感じます。あのアカデミー賞でも、SF映画は作品賞という頂点には一度も立てず、敬遠されているように思えます。「2001年宇宙の旅」「E・T」「スターウォーズ」でさえ。

商業的にSFは社会に浸透しています。それは常に「未来」であり、人の「好奇心」という創造のエンジンを刺激するものであるからです。しかし、そのSF的なものがこの日本では「疎外」されているように見えるのは、やはり、この国の「未来」が見えず、「好奇心」という創造のエンジンが弱っているからでしょうか。SFは決して「コアなファン」によって支えられているようなジャンルではないのです。ファンタジーとは、異次元の世界を創り上げる生命力と知性が無ければ生まれません。現実という地面にベッタリと貼りついている精神からは何も生まれません。

だからこそ、SF的なもの、まさにそれを社会的に支えている筈の「日本SF作家クラブ」の「俗化」が嘆きたいほどに情けないないのです。小松左京が生きていたら、星新一が生きていたら何と言うのか…。筒井康隆はぜひ、キレてください。

この日本から創造力を奪ったら、何があるというんですか。極論…。

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