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変 その32「介護失職 親を捨てるか生活を捨てるかを迫る社会」


生活崩壊新聞で「介護失職」なる言葉を見た時、カッと頭に血が昇りました(瞬間湯沸かし器なもので)。そして、同時にこの社会が壊れ始めている思いにまたまた暗鬱な気持ちに陥りました。このテーマを書くにあたっては、自分の事も多少前提として書かなければならないと感じます。私、サラリーマンではなくフリーの自由業ですが、今の状態としてはこの「介護失職」に近いです。フリーでやっている理由の一つに、この「介護」の問題もあります。何も老齢者だけが介護の対象ではなく、若い時分の親や配偶者が傷病で介護が必要になる事もあります。誰が対象だったかは別にして、これで私は4度目です。最初は20代の時でした。サラリーマンではとても、時間的な自由度、経済的負担をどうにもする事ができませんでした。それも、フリーランスの生活を始めた理由の一つです。選択の余地などありませんでした。

「介護失職」なるもの、派遣等で生活している人は一発で「雇い止め」とやらになるそうですが、正社員の方も同じような羽目になるようです。会社から「勤怠不良」とされて、クビ、と…。ある会社では、相談した派遣社員の方に「会社はボランティアではない」とホザいたとか…。ここなんです、カッと来たのは。まあ、「会社なんて、所詮、そんなもんさ」と言ってみても始まりません。その異常さに、どうすれば、気付かせられるのでしょう…。

もう「社会の機能不全」へのシナリオが明確になってきました。一般的なモデルとしては、親や配偶者が「要介護」となり、その面倒を見なければならないのは家族。肉体的、精神的、経済的な負担を背負う事になります。そして、それが限界に来た時、「介護対象者(親・配偶者)を取るのか、経済的なリスクだけは避けようとするのか」。その中間は無いでしょう。一部の大手企業正社員は援助のシステムに与かれると思いますが、それが可能な企業は日本の全企業の中で、数%もないでしょう。殆どは「会社はボランティアではない」との「ド本音(実状は確かにそうでしょう。余裕ないでしょうから)」で、「介護は個人の事情、自己責任」という事にされてしまうでしょう。社会道徳的には正しい「介護」を背負った瞬間、その先には「生活破綻」が高い確率で待ち受けています。「親子共倒れ」、もしくは「夫婦共倒れ」となり、子供も含めて、社会の最小単位である「家庭」が崩壊します。となれば、当然、その集合体である「社会」も崩壊します。

シンプルなパラドックスが様々に成立します。「介護をすれば、生活は破綻。介護を避けなければ職(経済生活)を失ってしまう。介護は必要だが、それを行う者にも介護以上のものが必要となる」。「介護サービスも介護保険もあるが、介護で経済的に逼迫すると、それを受けることができなくなる」。「介護を行い、介護生活が終わった時、自らの生活が不安の中に叩き込まれる」。「共に生きるための介護が、共に倒れる事となる」。「介護生活がハイリスクである以上、殆どの者がそれを避けようとして、介護なるものは存在しなくなる」。「介護サービスと介護保険は必要だが、健全に機能しないものとなり、必要が無くなる」等々…。

介護システムは国や自治体が音頭を取っているのでしょうが、現実にはそれを経済的に支えているのは「雇用」による経済生活です。その「雇用」自体が不安定であれば、どのようなシステムを考えようと、機能する筈はありません。基本的には「介護の問題=経済生活の問題=雇用の問題=経済(所得)格差の問題」となります。根本要因は「雇用」にあるのは当たり前の事です。
皆が皆、デラックスな介護施設を望んでいる訳ではないでしょう。「最低限」のセーフティネットがあれば十分じゃないですか。と、この「最低限」が、憲法に表記されていますが、どれくらいが「最低限」なのでしょうか? この辺りから根本的に考えて行かないと、もうこの社会は立ち行かないのでは…。

本サイトで「正社員、非正規社員」の奇妙さについて何かと書いていますが、「雇用形態」の問題と、「最低限」のセーフティネットをもっと具体的にしていかないと、社会不安から何が起きるか分かりません。極端な例でいえば、個人の不安を払拭するために、他者に対して過激な反応を示し始めた末に「戦争」への口がパクリと開いてしまいかねない…。もちろん、極論ですけど。
それ程、難しい事ではないでしょう。かつて大騒ぎした割には何の成果も出せなかった「起業支援」を再度活性化させるというのもその一つでしょう。「会社を離れたら生活できなくなる確率」を下げるしか手はありません。過剰な医療行為や薬漬けも問題です。私の父親はまだ延命措置に対して医師に何も言えない時代でしたから、いわゆる「タコ足状態(体中に延命装置のパイプがつながっている)」で「生きていました」。正直、それを「生きている」とは誰も思っていません。しかし、その医療負担は半端ではありませんでした。生きている方が「死にそうな」状態です。

経済生活の拠点を如何に地域に分散していくか、もう本気で手を打たないと、社会が壊れてしまいます。いや、もう壊れているのかもしれません。「人が生きていけない社会」を「社会」とは呼べないでしょう。憤りを覚えるほどに「変」な事が起きています。

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