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変 その21「自己愛故? ストーカー殺人の不条理」


ストーカー イメージ暗すぎます。悲惨すぎます。もちろん犯罪ですから悲惨であるのはそうなのですが、このあまりに「軽い行動」により、人の命を奪ってしまう「ストーカー殺人」なるもの、報道で知るたびに暗くなります。昔、殺人事件といえば、その凶行に至るまでの「動機」なり「状況」というのは比較的分かり易かったように思います。怨恨、金のトラブル、金銭欲、ヤクザの争い、無理心中の失敗等々。例えそれが理解できたところで、犯罪である事は同じなのですが、その事件の「動機・状況」を知る事で、ある程度は対策を考える事ができると思います。しかし、ストーカーの場合は…。

この類の事件はその「動機」等を知ったとしても、理解できないほうが多い。また、対策なるものを考えるとしても、全ての被害者にボディーガードを24時間付ける事くらいしか思い浮かびません。もし、対策があるとしたらストーカー行為そのものの原因を明確にして、そのような行動を起こさせないようにすることでしょうが…、となると、教育ですかね…。

こうした事件が起きるたびに犯罪心理学者が同じような事を言います。ストーカー事件を起こす者の特徴は「まず男性」「女性にモテない訳ではない」「同年代以上の人間関係が希薄」「自己愛が強すぎる」「(元)彼女への過度の依存」「嫉妬深く相手を束縛したがる」等々。しかし、このような特徴は大なり小なり、多くの人(男性)が持っているもので、それほど特殊だとは思えません。まあ、2番目の「モテる、モテない」は非常に客観視が難しいものですけど、これら全ての資質を持った者がストーカー予備軍であるとするなら、極論ですけど「男性全員」と言わなければならないでしょう。

しかし、実際に犯行に及ぶ者とそうでない者との間には天地の開きがあります。犯罪を起こした者の近縁者へのインタビューで、「あの人がそんな」「挨拶はちゃんとするひとで」「身なりもちゃんとしていて」といった当たり障りのない驚きの声をよく聴きますが、そんな、凶行を起こすものが「やっぱり、あの人はそういう事をする人だと思った」と思われるような行動や恰好をしているのなら、ヤクザの犯罪で、今やもう、そういった事は古典的なパターンでしょ。そもそも普通の人(定義が難しいですけど…)が起こす犯罪ですよ。しかし、殺人という凶行に至る瞬間にモンスターになるんですよ。

なぜ、モンスターになってしまうのか。ストーカー行為だけなら、迷惑のレベルでしょう。それが殺人に至れば、その人間の心はモンスターです。その理由のカギになるのは何でしょうか? 犯罪心理学者のいう予定調和的な分析(失礼)の中で、ひとつゾッとするものがあります。それは「自分を特別な者だと思っている」という点です。「人間関係が希薄、嫉妬心が強い、過度の依存心」は性格の範囲内でしょうが、「自分は特別な者」というのは根拠のある意識の筈ですから、どこかでそれが生まれているものと考えます。一体、何時、どのように、そんな意識が芽生えるのでしょうか?

私事で恐縮ですが、かつて人気タレントグループが「オンリーワン」とかいう歌詞の曲を歌っていた時、それを聞いてゾッとしました。「この世に一つの花」とか、「オンリーワン」は言葉だよといえばそうなんですけど、自分が一つでしかない存在なのは当たり前で、それのみを根拠にして「価値がある」というのはあまりにも全てをスッ飛ばしているのではないでしょうか。

小説やドラマなどには当然主人公なるものがいますが、気になるのは、最近のアニメでよく見る「選ばれし者」とか、もともと大きな力をその内に秘めていて、ある日「覚醒」するといった設定があまりにも多い事です(本サイトの他の編でも書きましたけど)。ストーリーといえばそうなのでしょうけど、誠に都合の良い万能の設定と思います。見ているだけならただのお話なのですけど、もしそれを現実の人間が「錯覚」として思い込んで仕舞ったとしたら…。そうした「物語」を自分で作って、その主人公になっているとしたら…。

考えすぎといえばそれまでですが、あまりにも「都合の良い」設定が多すぎるのです。お話の中だけなら問題は無いのですが、現実の人間がそれを取り込んだとしたら、「自分は大したもの」「自分はいつか…」などという、全く根拠のない価値を自分の中に持ってしまう。そして、それを認めない者、もしくは否定するような事をした(言った)者に対してどうなるのでしょうか? その自分の価値を守るための最も簡単で安直な方法は「相手の否定」です。

この「相手の否定」、レベルの差はあれど、日常の人間関係の中で経験する事って、ありませんか? 「いじめ」の本質も似たようなものだと思います。端的に言えば「自分を相手より伸ばすのではなく、相手を貶める事で自分が上に立つ」といった事だと考えます。

好きな相手にフラれるというのは誠に辛い事です。落ち込むどころか、全否定を受けたような気持ちになるかもしれません。しかし、それは不条理さえ感じながら「受け入れなくてはならない」事です。つまり「仕方ない」事です。自己を守るために相手を否定する事こそが不条理です。

「自分は特別の者」という考えはいつの時代から生まれてきたのでしょうか? オンリーワンに価値はありません。いきなり「特別の者」にはなりません。ストーカー行為までは理解できますが、「ストーカー殺人」は、人の精神がここまで「痩せ細って」きたのか、と、心が震撼とします。

解決するには、「疑わしきは罰する」ということになるのでしょうか…。

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