「不思議」「怖い」「変」を普通に考える。タイトルバナー

変 その14「泣かない子供ばかりの世の中って、ゾッとしません?」


達磨新聞を読んでいると投書欄に、「子供が電車(もしくは公共の場)でギャン泣きをして、周りの人から(その親が)責められた」とか、「周りの視線にいたたまれまくなって電車を降りた」「もうどうしたらいいのか分からない。外に出るのがイヤ!」などといった(母親の、でしょうね)投書を見かけます。

私は特に子供好きでもありませんが、子供嫌いでもありません。まあ、子供でも大人でも嫌な奴にはガン付け(睨みつける)する分別のないオッサンですが。前述の投書のような事、毎日の通勤で皆さんもご経験でしょう。「投書にある加害者」として。確かに子供のギャン泣きをまるっきり平気だという人はいないでしょう。なぜなら、あの声は「人が不安になる警戒音、それを感じさせる高い周波数」なのですから、それに反応しなければ生物として持っているシステムが機能していないと言う事になります。

子供(特に赤ちゃん)の声にちょっと(かなり…)イラッとするのは当然で自然な事なのです。子供、特に赤ちゃんははまだ十分に自分の事を伝えられないですから、泣き声で「自分が好ましくない状態」にいる事を親や周りの者に知らせるしかないのです。まあ、まさにサイレンですね。

問題は、それを母親のせいにする事です。確かに、あの声に晒されるとちょっと気分的に疲れますが、母親に「うるさい!」と文句を言う輩に聞いてみたい事があります。「あなたは子供の頃、全く泣かなかったのですね」と。そんな訳ないでしょ。子供は泣くのが商売みたいなものです。「では、お前は平気なのか?」と聞かれたら、「だから言ってるじゃないの。あれはこちらが不安になるくらいイライラする声だって」と答えます。

で、さらにこう答えます。「我慢せえ!」。そう、我慢すべきなのです、大人なら。あなたの子供だって泣くでしょ! 公共の場所では「人に迷惑をかけない」の中に「子供の泣き声」は入らないのです。それをギャン泣きを我慢できない大人が、その母親を責めるなんて、人間は生物的に「変」になっています。私が子供の頃は、私が泣いていると「元気な子じゃのう(某瀬戸内海沿岸の方言)」と大人はイラ付いている筈なのに我慢していました。

だいたい「公共の場」には権利ばかりでなく義務も無ければそんなもの成立しないのです。子供の泣き声を我慢するのは大人の義務です。とはいえ、あの高周波数に耐えきれない人はそこを遠ざかればいいだけです。電車に乗っているのなら、自分が降りる。それは失礼でも何でもない事ですから。その場にいる大人は全員、我慢! 権利ばっかり主張しない!

って、「分かったような事をえらそうに言うな」と言われそうですね。別に「物分りの良さ」を気取っている訳ではありません。いくつになろうと人間ができていない事は自慢したいくらいです。私、至近距離からウルトラ高周波の直撃を受けて、電車から降りた事、何度かあります。確かにあの強烈さは我慢だけで対応できるものではないです。

しかし、では、想像してください。子供たちがいつも全く泣きもせず、無表情で静かにしている風景を…。私はよほど、この方が耐え難い位に怖い。子供の泣き声が聞こえないような世の中…。ゾッとします。

ただし、小学校も高学年くらいの子供がキャーキャーと公共の場で走り回っていたり、騒いでいたら、「ウエルセェ、静かにしろ!」とガンをくれてやりましょう。これは教育的見地からの立派な指導です。大人げないインネンではありません。

まあ、余談ですけど、不思議というか、変というか、昔大人からよく言われました。「子供はアッチに行っとれ!」と。大人が怖かった。しかし今のガキ、じゃなくてお子様たちは世の中の中心にいるようですね。あんな立派なお子様を作り出した親は大したものです。モンスターの称号を与えましょう。

「変」を考える編 目次へ



【商品検索】Powered by Amazon

↑「すべて表示」をクリックするとAmazon.co.jpの検索結果一覧に移動します。

■これからギターを始められる方のご参考にでもなれば。
木の音 バナー
「雑学を楽しむ」サイト
テキトー雑学堂 バナー
「花を楽しむ」サイト
花を飾る バナー


■サイトポリシー ■プロフィール
■お問い合わせ
ページトップへ戻る

Design by Megapx / Template by s-hoshino.com
Copyright(C) Ureagnak All Rights Reserved.