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不思議 その77「虫の知らせ それは特別な予知能力か、人の持つ自然な力か…」


虫の知らせ イメージ「虫の知らせ」というのはよく耳にする言葉です。で、その「知らせ」とはその殆どが「良くない事」であるように思います。WEB上でもそうした「虫の知らせ」に関する話がたくさんあります。例えば、何となく妙な胸騒ぎがするので電車を一つ遅らせて乗ったら、前の電車が大きな事故に遭っていた、といった比較的ポピュラーなものとか、何となく胸騒ぎがするので、田舎の親を尋ねたら、その日に亡くなったとか。不謹慎ですが、凡そが良くあるパターンです。で、その「胸騒ぎ」なるものが「虫の知らせ」という事でしょうか。その語源は、「三虫」に由来するそうですが、この虫、生まれた時から人の中に潜み、その人が寝ている時に体から抜け出してその人の罪悪を天帝に知らしめる、というものであるようですが、それだとどうも、何かの「胸騒ぎ」といった「虫の知らせ」とは違ったものであるように思えます。

これを、少々視点を変えて、特別な「予知能力」として考えてみます。だとすれば、「虫の知らせ」の事例から考えて、「悪い事」を中心に予知する能力で、ハッピーな事はあまり予知できない能力であるように思えます。これはちょっと「予知能力」とするには偏っていますし、「嫌な予感が当たってしまった」という「心配性」の方専門の能力みたいになってしまいます。「予知能力」であれば、もっと広く、未来を見渡せるものであるべきでしょう。

では、今度は「人がもともと持っている自然な力」であると考えてみましょう。とすればどのような能力といえばいいのでしょうか。それは「人はみな、自分や他人の寿命(死期)というものを知っていて、それがお互いに、もしくは自らに感応して、その時期が早すぎると、違和感を事前に感じ、その時が来ると自然に『受け入れ』、最期を感じることができる」という力ではないかと…。てな感じで考えていたら、動物の事例もあるようですので、もっとシンプルに捉えるべきものかもしれません。例えば、象は「象の墓」といって、自分の死期を知るとその姿を隠し、死ぬべき場所に行って死ぬ、と言われています。その真偽は置いといて、猫もそうだと言います。カラスなどもそうだとも言いますが、要は自分が弱るとその身を隠して治癒するのを待ち、時にはそのまま死んでしまうという事でしょう。故にその死骸を、(事故は別で)あまり見かけないのでしょう。

それはそうだとして、あえて「生物は自分の死期や、仲間の死期が分かる」とします。それを感じるのが「虫の知らせ」といわれるものであるなら、何となく収まりのよい考え方のように思えます。興味深い話として、アメリカのリハビリテーション介護施設に住み着いているある猫は、そこにいる患者の死期を感じ取り、50人以上の死に立ち会ったと言われています。これは有名な話だそうです。猫などの動物の場合は、ある個体が優れた嗅覚(もしくは他のセンサー)を持っていて、死に関わる「兆候」を感じ取るのではないかとも考えられます。であったとしても、それは「他者の死」を具体的な感覚として捉えられる能力であると思います。象もカラスも生物的な感覚としてそうした事を自他に感じられるのかもしれません。では、人間の場合は具体的に…。

これは生物的な能力というよりも、優れて観念的なものになるかもしれませんけど、ある医者がその経験から「自分が死にたいと思ったときに、亡くなっている人がいる」事を語っています。西行法師も、その歌の通りに、「その如月の花の咲くころ」に亡くなっています。ある僧侶の言葉に「悟りを開いた僧侶は、自分の死期を察知できる」というものがあります。

で、これは自分の経験ですが、自分の親の死に「虫の知らせ」のようなものはありませんでしたが、極めて自然にその死を受け止めることができました。両親とも少々長い介護生活を経ての事でしたから、今どのような状態にあるか(もう、あまり長くないという状況)という事が日々の中で分かっていたからかもしれません。自身の介護疲れによる気分的な抑揚の衰弱があったのかもしれません。しかし、それぞれの死に際に感じたのは、「もう、生きることを止めたのか…」という事です。極めて個人的なことですので色々あった、としか言えませんけど、長く病床にあって、最期はそのように「自然」に感じました。

身近にいた者で、別に特段の病気ではない者に、漠然と「あまり長いことは、無いかも…」と感じ、それから1年もしないうちにその「予感=虫の知らせ」が、現実のものになったこともあります。まあ、これは、前述した、心配性の思ったことがそうなってしまっただけかもしれませんけど…。ただ、その知らせを聞いた時、「やっぱり…」と思ってしまったことは事実です。あまり良い話題ではありませんけど、やはり人には「その寿命」なるものが暗に分かるのかもしれません。

もう一つ、これは自身が「やはり、そうなんだ…」と感じたことなのですけど、家人の父親が自宅での数年の介護生活で、世話をしていた家人もこれが最後の介護となりますから、病院ではなく自宅で看取りたいとし、そのように対応していましたが、たまたま、他家に嫁いでいる姉妹が揃っている時に、「明日帰るのか…」と聞き、その帰る日、つまり本当にたまたま姉妹が揃っている時に、自分で選んだように逝きました。実に穏やかに。「自分で自分の逝く時を選んだ」としか思えません。

このように「人には、自他の『その時』が分かり、自らの『その時』を決められる」ということがその能力として備わっているのではないでしょうか。他の動物もそうかもしれませんが、そうしたことを「経験的」に「虫の知らせ」といった表現で言い表しているのではないかと思えます。それは、寿命というものを「受け入れる」、精神のせめてもの「安寧」を得るためのことではないかと思います。超能力的なものではなく。

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