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不思議 その75「錯視 目が動いているのか、脳が動いているのか…」


エビングハウス錯視「錯視」については随分と前から興味があり、書いてみたいと思っていましたが、これに関してはもう十分に説明が付くもののようで、WEB上には「錯視」に関してのオーソリティといえるようなサイトがあります。ですから、今更「不思議…」なんてことで私が何か書いたとしても特段の事もなし…、と思っています。で、書くことは無かったのですけど、この編の「その74(ひとつ前)」でエッシャーについて書いた時、色々調べる中でエッシャーの絵の要素に「錯視」的技法があるという説明に行き当たったのですが、私自身は「エッシャー=錯視」とはならず、それは別物であると思っていますので、この言葉に改めて触れて、やはり、書いてみたくなったという次第で…。

能書きのような前提は置いといて、前述した「錯視に関してのオーソリティ」サイトですが、これは立命館大学の総合心理学部、北岡明佳教授のサイトで、興味のある方は是非ご覧になってください。ただし、乗り物酔いなどしやすい方は気をつけてください。目が回ります…。下記にリンクさせていただきます。
http://www.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/

で、私が「錯視」というものについて、驚いたのは下記にある画像をWEBで見てからです。かなり以前に目にして、保存しておいた画像なのですけど、どこでコピーしたものか今となっては全く分からない(調べてみても出てこない)ので、作者の方が目にされてもし著作権の問題がありましたら、ご指摘ください。まずは、私が「錯視」で最初に驚いた画像ですので、ここでご紹介させていただきます。ご了承願えればありがたく思います。

この画像をジッと見ていて、「動くように見えるのを止める」ことにチャレンジしてみたのですが、ダメでした。幸い、私、船釣りが趣味で「船酔い」には強い方なので気持ちが悪くなることはありませんでしたが、「目が動いているのやら、脳が動いているのやら…」、不思議な感覚に頭がフワッとした記憶があります。文頭の右上にある画像はけっこうポピュラーな「錯視」の事例ではないかと思います。何故か右中心の円の方が左に比べて大きく見えてしまいます。実際には左右とも同じなのに。これは、「エビングハウス錯視」というそうで、この他にも同じようなバリエーションがあるようです。線が「長く」見えたり、「曲がって」見えたり、「傾いて」見えたりする錯視もよく見かけます。

「錯視」についての定義を Wikipedia から引用させてもらいます。
●錯視(さくし、英: optical illusion)とは、視覚に関する錯覚のことである。俗に「目の錯覚」ともよばれる。生理的錯覚に属するもの、特に幾何学的錯視については多くの種類が知られている。だまし絵とは異なる原理による。

俗に、なんて言われなくても「目の錯覚」ってのは分かりますけど、結局は「脳」がそれを認識しているので、「脳の錯覚」とも考えられます。先にご紹介した教授のサイトを見ると、この錯視の画像は色々な技法を用いて様々に創ることができるようです。で、その錯視には数えきれないほどの「幾何学的錯視」があります。それはそうなのですけど、その理屈を勉強したい訳ではなく、そう見えてしまうものはそうなのでしょうけど、私の興味は先に述べた通り「何とかして、その錯視を止める(正常に見る)ことができないものか」という点にあります。ですから、何度もトライして、片方が長く見える線が二本とも同じ長さであるように見えるよう頑張ってみたり、片方が大きく見える○が二つとも同じ大きさに見えるよう頑張ってみたりとか、何とも非生産的な努力を繰り返しています。アホな事だと思いつつも…。ハイ、何度トライしても、無理でした。

で、せっかくですから(?)、学術的アプローチは学者の方に任せるとして、この普通の脳ミソで「なんで錯視なんてものが起きるのか?」という事を考えてみたいと思います。遅まきながら、そこが本題なのです。「なんで錯視が起きるのか?」。私の答えはシンプルです。「それは、人間にとって必要だから」、です。論理的な破綻は覚悟の上です。もし世の中が完璧に幾何学的に目に映るとしたら、どのような景色になるでしょうか。それは「誰にでも同じように見える景色」になるのでは。であれば認識というものが人の個性に影響を与えるとすれば、少なからず感覚的に「似たような」人間が増えることになります。それではつまらない…。というより、人の持つ「創造性」が弱くなってしまう可能性もあると思います。同じものを見ても、見方によっては人それぞれに見えてしまう…。ある人には真っ直ぐでも、ある人にはクネクネとしているように見えてしまう。そこにこそ、「個性」「個の創造性」が生まれる元があるのではないでしょうか。

なんか、右手と右足が一緒に出ている「ナンバ歩き」をしているような気がしますけど、繰り返しになりますが「目の錯覚」とは「脳の錯覚」でもあり、目の前のものが人それぞれに違って見えて、違って感じられて、それが脳の中で人それぞれのイメージを作り上げていくのだと考えます。ですから、人には「機械」のような感覚ではなく、言ってみれば「テキトー、偶然、偏り」のある感覚が必要なのだと思います。故に、「錯覚」だろうが何だろうが、ものが不思議な見え方をする必要がある、と。

自爆したでしょうか…? アホ呼ばわり覚悟で言います。人には、「見間違え」「思い込み」「勘違い」が必要なのです。それが無い脳ミソは「機械」です。「錯視」は人が持っている「脳の力」であり、そこで「面白さ」を感じるエンジンが回ることによって、様々なイメージが創造されるのであると思います。

やっぱり、自爆したかな…?

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