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不思議 その74「エッシャー そこにあるのはバランスの取れた"0"の世界」


エッシャーの作品 部分エッシャーは凡その方がご存知だと思います。が、そのあとに掲げたタイトルは、なにやら取って付けた謎かけのようで、キレは悪いのですけど、私、エッシャーの絵は大好きで、あの絵を見ているとその「対称性」の美しさに「バランスの取れた"0"」なんてイメージを持ってしまうのです。これについては本編に書いた「不思議 その57」をご覧になっていただきたいのですが、軽薄覚悟で言えば「この世は全て凹凸で出来上がっている」と考えているのです。「正と負」「陰と陽」「+と-」「ポジとネガ」「常に存在する『反』(物質と反物質)」等々。「大と小」なんていうのは相対的なものですから、その間には無限の点や線が存在しますが、凹凸の間には何があるのでしょうか。ハイ、そこにあるものは"0"です。以前に書いたことの繰り返しになりますけど、SFファンの方なら、「物質と反物質が接触して対消滅する際に大爆発…」なんてのは少々手垢の付いた、凡そご存知の定番シチュエーションだと思います。

現実にこの物質世界で反物質なるものの存在(痕跡?)は認められているようですので、まずはそうした対称性が存在するというのは確かなようです。で、この両者の真ん中には"0"が存在するというのも数学的な足し算引き算的にも事実でしょう。「+と-」、まさに凹凸です。で、なぜこの世(宇宙)に物質と反物質が同時に存在して対消滅を起こさないのかという事に「揺らぎによる対称性の崩れ」なるものにより物質の方が多く残った、と説明されてもイメージしきれないので、ビッグバンという特異点を中心として物質と反物質の宇宙が、砂時計のような形でそれぞれが反対方向の次元(?)に広がっていったのでは、なんてモデルを、所詮学者ではない雑学脳で勝手に考えてみました。どちらが「反」であろうといいのですが、その中心にあるのは"0"です。それぞれの宇宙がどれほど膨大に広がっていこうが、その両者の接点(砂時計のくびれの部分)にある特異点は"0"。

なんて、一度書いた記事をまた繰り返していても仕方がないので本題へ。ハイ、エッシャーです。フルネームは、マウリッツ・コルネリス・エッシャー(Maurits Cornelis Escher:1898年~ 1972年)。オランダの画家(版画家)です。その作品は多くの方がご存知のように、現実世界では建築不可能な構造物や、無限を有限のなかに閉じ込めたり、次々と変化するパターンで平面(空間)を埋め尽くしたものなど、他に類のない独創的な作品を多く残し、見る者を不思議な感覚で包み込みます。その作品は「トロンプ・ルイユ(騙し絵)」というシュールレアリスムの手法のような錯視を利用したものとか、数学的・工学的な手法を使った「トリック・アート」とか様々に解説されていますが、私にとってはそのような技法的、分類的なことはどうでもよくて、エッシャーがそこで何を「表現」したかったのかに興味があるのです。

エッシャーの、その透視法で描かれた有名なものに「ネッカーの立方体」や、「(永遠に循環する)滝」「ペンローズの階段」などがありますが、私にはその「エッシャー的透視法」なるものが、凹凸のワンセット、「+と-」のワンセットであると見える(思える)のです。つまり、「下に向かうものが、上に向かっている」「手前にあると思うものが、向こうにある」といった感じです。彼が描く空間はまさに「+と-」が交互に現れて、その空間を満たしていると感じます。表現的には拙いのですけど、「相対性」や「上昇と下降」、「滝」「メタモルフォーシスI」「凸面と凹面」などの作品は空間が「+と-」で創られ、「空と水」「空と水(Sky and Water )II」「Development I」(作品があまりに多いので挙げ続けているとキリがないのでこの辺で…)などは平面を「+と-」で創り、「Plane Filling Motif with Reptiles」といった、トカゲが二匹絡んでいる作品はまさに「陰と陽」です。ちなみにエッシャーの作品はWEBで検索すればその多くを見ることができます。

私はそこに「完全にバランスの取れた世界」「+と-の見事なバランス」「均衡した美しい凹凸」などと、表現すればキリが無いのですけど、まさに自分の雑学脳が描いたような「宇宙」を感じてしまうのです。一般に言われるように、エッシャーが「数学的」手法を使ってそれらの絵を描いたのだとしたら、それは数式と同じくらいに美しい世界であり、そこに現れるのは…、"0"であると思います。

ここで、私がイメージとして持っている"0"なるものを無理やり言葉で表現しようとすれば、「完全なバランスの中心」「存在の本質」「存在の全て」「あらゆる変化を描き出すもの」「全てのものが現れ、同時に消える所」等々、少々収まりがつかなくなるくらい言葉があふれ出してきます。そのどれがもっとも正しい表現であるのかなどは関係ありません。「宇宙」なるものは、特に鋭敏な感受性と技術、感覚を持った人たち(芸術家)によって様々に描かれています。音楽という手法であったり、絵画という手法であったり、文学という手法であったり。どれが「真に適した手法」かなんてこともありません。で、自分としては、エッシャーという作家の作品に、繰り返しになりますけど、まさに自分がイメージ(妄想)する宇宙の姿、この世の姿に最も近いものを感じてしまうのです。

「完全な対称性」とは"0"である。とまあ、所詮は雑学脳からフワフワと浮き出してくるものですから、「究める、突き詰める」ものではなく、「楽しむ」ものですので無責任ご容赦。私たちは、とどのつまりあちらとこちらのどちらかは分かりませんけど、その根元には"0"のある世界で生きているのですよ。無常なんて言葉を持ち出すまでもなく、その「覚束なさ、頼りなさ、儚さ」等々を「楽しむ」「楽しめる」存在として生きていければ良いような…。物質的な充足を言っているのではありません。エッシャーの絵がそんなことを感じさせてくれるのです。

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