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不思議 その71「毎日の生活の中 誰か他にいると思う感覚…」


誰かいる イメージこれは意外と多くの人、特にある程度歳を取られた方々が経験している事ではないかと思います。理由は、歳を取るという事はそれだけ多くの人の最期に会うことでもあり、その人たちは自分の記憶の中で消えることは無く、様々な思いの中で現れてくるものだと思うからです。ですから、生きている自分の意識の中にはこれまでの景色がそのまま残っている筈ですから、その存在を折々に何らかの形で感じてしまうのは、妙な事ではないと思います。まあ、自分がボケてしまったらどうなるのかは分かりませんけど。

テーマに対して、いきなり結論のような事を冒頭で書きましたが、まず先に、一番合理的に解釈できる事を最初に掲げておかないと、どうにも「逝った者がそこにいる」「逝ったものは肉体が消えるだけ」という、まあ、早い話が「幽霊?」ってな方向にいきなり持って行くしかなくなって、いかにも「取って付けた感」を免れないと思ったからです。それは、記憶の中ではなく、毎日の生活という現実の中での「気配」であったり「声」「音」であったり、何気ない時に当然のように現れ、自分も「その誰か」がいるという感覚を抵抗もなく受け入れていることがあるのです。もっとも、それを「幽霊」という表現で片付けられるのかどうかはよく分かりませんけど。

ある程度の歳(オヤジ)になると、当然ながら生活の環境や感じることは自然と変わってきます。体力、経験、今まで考えたこともない先の事、等々、生まれて初めてその歳になって感じることばかりですので、変わらざるを得ないのです。

で、今現在は連れ添いと猫と、二人と一匹で生活しています。両名とも親はすでに成仏し(多分、していると…)、やるべき事は全てやったという安堵にも似たような感覚をやっと覚えられる状況の中で暮らしています。家の中には二人と一匹だけしかいないはずなのですが、食事の時、ふと別の誰かが「まだ席にいない」とかって感覚になることがあります。風呂に入るとき、家人ではない誰かに「先に入れば…」なんて思ったり、これは私も家人もそうなのですけど、誰かに返事をして、「何言ってんの…」なんて聞かれることがお互いにあります。リビングにいて、誰かが入ってくる気配に振り返ることもあります。廊下を誰かが通った気配や、隣の部屋に誰かがいるような気がしたり。

「怖い」という感覚より「不思議」です。といっても、考え込むようなものでもなく、けっこう「当たり前」のように感じてはいます。弊害はありません。それで、冒頭に述べたような理由を捻り出して、とりあえずの答えとしているのですが、本音、やはり「誰か他にいる」という気分は明確にあります。ただそれを「幽霊」なんて言葉では呼びたくなくて、当然、何か人のような気配があちらこちらにあっても不思議ではないと考えています。その理由を述べよと言われれば、われわれの周りにいて、そして今はいなくなった人たちを「唯物論(補足説明※3)」的に「物質的に無い」なんて、心が感じる訳が無い、ってことです。姿は違えど(どんなお姿かは分かりません)、今もずっといると思いますし、自分たちもいずれはそのようになる、と思っています。

ちょっと「場違い」かもしれませんが、お釈迦様の話でこんなのを思い出します。ある夫人が子供を亡くし、お釈迦様に「子供を生き返らせてください!」と半狂乱でお願いします。お釈迦様は「そりゃ無理だよ」なんてことは言わず、「では、一人も死者が出たことのない家で壺を借りてきなさい」とその夫人に告げます。するとその夫人は必死になって「一人も死者が出たことのない家」を探します。しかし、いくら探せど探せど、そのような家はありません。夫人は落胆して、そのことをお釈迦様に伝えます。それに答えてお釈迦様が言います。「死者が出ないということがあるだろうか。皆、そうした死者とともに暮らしている」。そう諭された夫人は、悲しみながらも子供の菩提を弔って生きていくことで心の平静を取り戻したという話です。

この辺りではないでしょうか(何が…)。われわれはいずれ死んでしまいますが、それは「無くなる」という事ではなく、生も死も「連綿と続いていく日常の生活」であり、命はそうしてつながれていくものだと思います。ですから、二人と一匹になろうが、二人であろうが、いずれ一人になろうが、それは「位相(補足説明※61)」的なものであり、ちょっと大仰に言えば、宇宙という(たとえ多元であろうと、全体の構造としておそらくは)「閉じられた空間の中」に同居している筈でしょう。これ、「輪廻転生」ということであれば本編の「不思議 その35」に書いた「命はエネルギーと同義で一個体に属するものではなく、総量として捉えられる」という言葉になるかと思います。そちらもご覧いただければうれしく思います。

という事で、我が家は二人と一匹ではありますが、親だけではなく、自分につながる様々な方々、犬も猫もいるでしょうけど、皆がつながった中で生活しているということでしょう。

あ、今、誰かが後ろを通りました。ような気が…。振り返ってしまった私。誰もいません…。

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