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不思議 その63「記憶の曖昧さ 突き詰めればそれは心の問題か…」


考える 冒頭からいきなり唐突なことを言いますが、ここで言っている「記憶」というものを、例えば「記憶力(がいい、悪い)」とか「記憶に残る事」、「いつまでも忘れない」とかいった、機能的、器質的、器官的なものとして捉えないでください。「何のこっちゃ?」と思われる方もいらっしゃると思いますが、ここではこの「記憶」を「今住んでいる(生きている)世界」とでも解釈して、それを前提としてみてください。何故なら、私がここで考えてみたいのが、映画で言えば「マトリックス(The Matrix)」、もしくは、ちょっと古いSFファンの方ならご存知と思いますが、光瀬龍の「百億の昼と千億の夜」に出てくるゼンゼン・シティーのA級市民が夢を貪って生きているコンパートメント(個室)のように、「記憶というものは本当に、自分の過去が積みあがってできているのか?」という問題だからです。

古典的な疑問かもしれません。自分の「記憶に対する懐疑」なんてものは。ただ、「実は私は金星人で、地球人としての記憶を植え付けられている」、とか、「全ての民族はその共有幻想として同じ歴史を共有し、その記憶で統一性を保っている」とかいった大ネタめいたことを考えたいのではなく、疑いなど殆ど持ってはいないけど、ほんのちょっとしたことで自分の「記憶」にある疑いを持ってしまうという、極めて日常的なこと(そんなの感じないという方の方が多いと思いますが)について考えてみたいのです。

何かのテーマを設定しての「思考実験」という趣ではありません。どうにも、考えずにはいられないというか、そのきっかけは「夢」なんです。「夢」と書けば、「なーんだ。よくある夢判断みたいなものか」と言われるかもしれませんが、それとは違います。例えばこのような夢に関する経験はありませんでしょうか。それがどこだか、どんな街なのだか、なぜそこにやってきたのか分からないのですが、同時に「自分はかつてそこにいたことがある」と強く感じる夢を見ることが。夢の中の既視感(デジャヴ:Dejavu)というか、思い出せそうで思い出せない。しかも、それをある期間、何度も見るのです。見ない時には見ないのですが…。

そうした夢を続けて見る時にはある「共通点」のようなものがありまして、それは「自分の環境が変わる時」です。例えばポピュラーなところでは「引っ越し」、「職を変えた時」、「家庭内の状況が変わる時(親が歳を取るとか、自分が歳を取るとか)」、後は「軽重を問わず病気になった時」、要は何らかの不安定な精神状態になった時と言ってよいかと思います。そんな時、なぜか繰り返し同じような夢を見るのです。何度か、その夢が現実の記憶と混同して、そういやあの景色を見たのは…、あれは「いつだっけ、もしかしたら夢だっけか…」、なんて甚だ不明瞭な記憶に戸惑うことがあります。

具体的に最近何度か見たのはこんな夢です。あるマンションの一室にいるのですが、そこは長く人が住んでいなかったような、埃と煤だらけの部屋です。しかし、今の今まで人が住んでいたような形跡がテーブルの上に置かれた茶碗や皿など、あちこちにあります。そして、私は昔そこに住んでいた記憶を持っています。どこに風呂があるのか、どこの箪笥に何を納めているのか。壁に掛けてある埃だらけの服をかつて着ていた記憶とかもあります。それらを手にして、懐かしさを感じると同時に、なぜそこを出なければならなかったのか、何もかも残したまま…、が分からないのです。で、その時に焦りにも似た不安を覚えるのです。「そうだ、自分はこれをズッと放っておいた…。忘れていた…」と考え始める、のです。そこらへんで夢はいつも終わりますが、何度見ようとこのパターンです。

記憶は「一本の線の様にシーケンシャル(連続して)につながっているのではなく」、「島と島のように、ある(記憶の)グループとしてまとまっている」というのが一般的な「記憶のモデル(島記憶)」だと思いますけど、故に「遥か昔のことが、つい昨日のことのように感じる」ことがあるわけで、シーケンシャルでなく島であれば、その島同士が近づいてしまえば、記憶的な時間がショートカットされてしまう可能性があるのでしょう。ということは、記憶が連続して積みあがった上に「現在の私」があるのではなく、多くの記憶グループが時間的な統合(遠い、近いのような)をされて今の自分の世界を創っているとしたら…。さあ、ここからなんです、私が疑問に思っているのは。

その記憶の「島」の中に、他の「島」との関連性、言ってみれば「部分集合」のようなものを持っていないものが混じっていて、脈絡もなく「今の記憶の島」の傍に寄ってきたとしたら、どうなるのでしょう。あの夢のように、漠然とした記憶と現実感と、そして何かを忘れていたような不安を覚え、しかし、今の自分の記憶との関連性がないのでどうあがいてもハッキリと思い出せない。それは「心」が作り上げた「記憶の島」であるとしたら…。そんなものが様々に関連している記憶の島々の中に、ポコッと「浮島(ひょうたん島みたいな)」のように、他の島々と関連性のない記憶を抱えて漂流しているとしたら…。

それは何なのでしょうか。突き詰めて考えてみれば、人が「こうあればいい」と希望的に思ったり「漠然とした不安」とか、「今の自分は…」といった、現実からやや乖離した想像をした時に、どのような心のメカニズムかは分かりませんが、それが記憶の中に島として形作られたとしたら。事実、夢の記憶が現実の記憶と区別がつかなくなる瞬間ってありませんか? 私、時々あります(ただのバカって言わないでね)。しかも、妙なリアリティーさをもって。「前世」の記憶とは言いませんが、そのようなものでさえ「心(=脳)」が作ってしまうとしたら。われわれは「記憶」の中に生きているわけですが、それは「心(=脳)」の中にあり、どのような働きによってそれが「作られる」か分からないのです(生理学的には解明されているのでしょうが、感覚的には…)。記憶を統合しているのは「心」だったりして。その「心」が現実に反することをすべて除外してくれるのならいいのですが…。いや、それも面白くないか…。

ここでこれを引用するのは予定調和的かもしれませんが、江戸川乱歩の「現(うつし)世は夢 夜の夢こそまこと」あるいは「昼(ひる)は夢 夜(よ)ぞ現(うつつ)」という言葉は、記憶の中にある「現(うつつ)」の中に「(心が作る)夢」が入ってくるという事を言っているのかも、ってなことを思ったりします。夢に殊更、意味性を持たせるのは好きではないのですが…。

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