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不思議 その61「個人と社会人との二重人格化 蔓延する社会脳のご都合主義」


考える 自分が自分なりの解釈で適当に使っている「自家製造語」ってあると思いますが、「社会脳」って言葉もその一つです。他のものはあまり良い意味で使う言葉ではないので、ここに書けませんけど…。これは「全くの個人ではなく、社会的生物である人間として”あるべき姿”を考えるための脳」という程度の意味で、それほど高尚な意味では使っていません。例えば「個人の思考と社会脳が分離している」とかって、使ったりします。それは「二重人格」的なものを表しているつもりなのですが、もっと辛辣に言えば「人格の破綻」「社会脳の思考停止」ってことです。人は本来「自分はどうあるべきか」と「社会人としてはどうあるべきか」を並行して考えるものであると思っています。なぜなら、両者の間には当然「利害的」な立ち位置の違いがありますから。

で、その「社会脳」という言葉ですが、2012年5月の京都大学大学院医学研究科の資料によれば、「脳科学辞典」の中に「社会脳」という言葉が定義付けられています。英語名では"Social Brain"。分かりやすいですね。これは1990年にアメリカの生理学者Brothersが「社会認知能力に特に必要な(脳の)部位として、扁桃体、眼窩前頭葉、側頭葉を挙げたのが一つの契機となって用いられるようになった言葉」のようです。

つまり、脳神経科学の究極の目的が「人間の理解」であるとすれば、人間が「社会的存在」である以上、人間を対象とした研究はすべて「社会脳研究」ともいえる、という立場から、その社会認知能力、および社会的行動の神経基盤を理解しようとするムーブメントであり、それが興隆してきたのはそれほど昔ではなく2005年あたりのようです。今では先の(脳の)部位に加えて内側前頭前野、側頭頭頂移行部(後側上側頭溝)も社会脳の重要な一部であることが分かってきたそうです。

てなことを延々とやってしまうと話がどこに行くのか分からなくなりますので、概略はここまでとして、本題ですが、つまり「社会脳」研究とは、繰り返しになりますが、「社会認知能力」と「社会的行動」を大脳生理学の立場から解明しようとする動きで、換言すれば「人はどのように社会というものを脳の中で捉え、行動するのか」ということを明らかにしようとするわけです。もっと砕けて言えば「人は、社会というものをどう捉え、自分との整合性をもって両者を統合しているのか」ということです。え…? まだ砕けきっていないって…。ヘイ、合点です! ここは得意の「破綻覚悟」で行ってみましょう。

人にとって「自分の利益」と「社会の利益」とが常に一致するわけではありません。しかし、人が社会を基盤として生きている動物である以上、その利益の不一致に折り合いを付けなければなりません。故に「社会脳」なる機能が必要なのです。例えば、今の経済格差ですけど、自分の利益としては「自分が優秀だから、利益をいくら得ても当然だ」という個人の理屈はまああったとしても、「優秀=お金を得られる」ではないことに気が付かないと、社会はドンドン片方に偏っていきます。で、自らの拠り所である社会は弱体化して、下手をすれば自分の得た富が社会の崩壊とともにゴミ屑になってしまうこともあり得ます。故に、ここで「社会脳」が動かなければならないのです。「優秀=お金持ち」というサル並みの「脳」の誤謬に気づき(認知能力)、優秀であるならば「今の社会の”あるべき姿”とは…」ということにその「脳」を使うべきなのです(社会的行動)。

更に(分かりやすい)例を挙げるなら、全国で「待機児童」が問題となっているのに、中止延期されている認可保育所が相当数あるという事実を、教養と知性溢れる方々の社会脳はどう捉えているのでしょうか? 子供たちの未来のために、早急にその施設を用意するべき、ですよね…。な・の・に…、現実は、「近くに保育所があるとうるさい」とか、「調理所から臭いが出るのでは」とか、「保育園の送迎で車の通行量が増えて危険だ」とか、とか、とか…。

全く、「社会脳」が働いていない! そこにあるのは「私個人の利益(のための脳)」のみ! おそらく、アンケートで「待機児童の問題」を問えば、「早急に解決すべき」という社会脳の答えが出てくるはずですが、実態は…、「やだあ…、うるさいしぃ…」なんてボンクラな考えです。これは非難するのは簡単なのですが、問題は、完全に「個人脳」と「社会脳」が分離していて、冒頭で述べたように個人が「二重人格化」しているということにあると考えます。しかしながら、本人はそこに何の矛盾も感じてはいないでしょう。少々、ゾッとします。

なぜ、そのようなことが起きてしまうのか。人間の社会性低下、という予定調和的なことより、もっと危ない「脳のご都合主義」が蔓延しているのではないでしょうか。マイホーム、そしてそれに伴う財産に囲まれたソファーの上からは、「社会」なんて見えません。とすれば「認知」が無い訳ですから「行動」もない。あるのは「個人の世界だけ」。これって、手垢のついた表現ですけど「私だけはこれでいい、大丈夫」という「正常性バイアス(補足説明※50)」ですよ。おそらく、それが蔓延した時には、手が付けられないほど社会がガラガラと不可逆的に崩壊するのでしょうね。

多くの社会脳は壊死し始めているのかもしれません。自らの矛盾に気が付かないほど「脳は自分を騙す天才」なのです。大した進化だとは思いますけど、これはけっこう一級品の「人間の不思議」です。われわれ大人(=社会人)にできることは「我慢」であるはずなのに、どうやら、それを殆ど訓練してこなかったのでしょう。またまた、司馬遼太郎の言葉を思い出します。「われわれは人に対する優しさというものを、訓練してでも得なければならない」。優しさというのは気分や態度ではなく、「我慢」というなかなかにしんどいものがその後ろにあるのですよ。

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