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不思議 その60「これが色即是空、空即是色か… 逝くときはわが身ひとつ」


考える これは、不思議といった感覚で捉えるべきものではなく、現世に生きるものとしてむしろ哲学をもって臨むべきテーマであるとは思います。しかし、どうしても不思議に感じてしまうのです。何がって? 誰もみな、ある程度の歳になれば近しい者、親、兄弟、親戚、友人・知人などの臨終の場に立ち会うことが増えるはずです。そもそもがそれは不可避なことです。その回数が増えるたびに募る不思議さがあるのです。言葉にすれば非常に単純でやや不謹慎なのですが、「この人は、何を持っていくのだろう…」ということです。もう少し言葉を付け加えれば「自分の人生の中で得た、何を持っていくのだろうか…」という思いです。「そんなの、不思議でも何でもないじゃない。死んじゃうだけでしょ」と言われるかもしれませんが、もしそう言われれば、その言葉の中にこそ、私が不思議と感じてしまうことがドンズバ、含まれているのです。

「死んじゃうだけじゃない」とすれば、どのように栄華を極めた人生の人も、不幸に弄ばれ続けた人生の人も、「逝ってしまうだけ」です。しかも、亡くなられた後にどのような葬送を受けようと、故人には関係のないことでしょう。これは自論ですが、野垂れ死にしようが、英雄的な死に方をしようが「死」に何の違いもない、と考えています。何故なら、「次」があるからでしょう。それを「輪廻転生」と呼ぶのであれば、本サイトの同じ「不思議その35」に「命は遥か昔より繰り返し再生産されている」という考えを書きました(よろしければご覧ください)。そこで書いたことは割愛しますが、物質世界での「生物的な死」は確かにありますが、「命はさらに次を目指して動く」ということです。

このあたりで、私の疑問、不思議と感じることは極めて個人的な事で、「普遍性」などないと断じられるかもしれませんが、私はかなり確信的に、そこにこそ「普遍性」を見出してしまいます。

と、このまま論を進めると、また「不思議35」で行った思考実験をここで再度やるようなものなので、話を変えます(元に戻します。循環したりして…)。「この人は、何を持っていくのだろう…」という素朴で単純な不思議さを感じるとき、その答えであるかのように、般若心経で有名な一説、「色即是空 空即是色」が頭に浮かんできます。確かに、人が逝く瞬間には、現生のことなどその通りになるのです。般若心経に関しては兄弟サイトの「テキトー雑学堂:人文・思想 その14」に書きましたが、そこでテキトーな意訳として「この世のものにはすべて実体というものは無い」と書きましたけど、生きている身にはなかなかそのように思えないのですが、逝く者の姿を見るとき、「まさに」という思いとなります。

逝く者は「身一つ」で行ってしまいます。何一つ、携えていくことはありません。その「生きていた時に縁のあった者&物たち」は現生に置いて行かれます。送るものは逝く者をそれぞれの想いで見つめたとしても、逝く者は振り返ることなどないでしょう。誠に予定調和的かとは思いますが、豊臣秀吉の辞世といわれている「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢(もとの句は確か、すべてひらがな)」という句が思い浮かびます。位人身を極めた秀吉が、これから迎えようとする最期を前にして、「色即是空 空即是色」と同様の意の言葉を残しているということです。

といって、現生全てを否定すると言っているわけではありません。むしろ逆なのです。ちょっとここから多少牽強付会な解釈をするかもしれませんが、現生にあるすべてのものを他者と共有できているということを証明するのは不可能であるように思えます。何が言いたいかといえば、自分の周りにある者・物、それらに実体を持たせられるのは「自分自身」のみであり、(他者に)与えられるものではないということです。そして、それらに形を与える自分が滅すれば、すべてが滅してしまうという「事実」があるのみ。ここは否定のしようがありません。もし、ひねくり回して物事を考え過ぎていると思われたなら、現生の「存在(者&物)」を「意味」と置き換えてみれば如何?

「色即是空 空即是色」を「この世のものにはすべて実体というものは無い」というのは文脈の中で使った言葉で、「それに何かを感ずる事も無ければ、全ては生まれる事も無く、滅する事も無い。存在しないものに苦しみは無く、老いも死もない」という、全くひっくり返して考えれば、「すべては自分が感じる(意味性を付与する)だけのもの」ということではないかと考える次第で。

理屈にすぎるのかもしれませんが、間違いなく「逝く者」は一人で逝き、全てはこちらに残されたままです。で、いずれ自分も一人で逝くのでしょう。ある程度、歳をとったからそんなことが不思議に思えるのかもしれません。「色即是空」がなんとなくわかると同時に「空即是色」の意味のようなものが分かるように思えるのです。「生は刹那に見る夢」などと情緒的にとらえるのではありません。一人でやってきて生を全うし、そして一人で帰っていく。「色即是空」であって、否定される死などはなく、また同じように、否定される生もないということでしょう。故に「空即是色」。

帰っていくのは、来たところなんでしょうね。

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