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不思議 その6「これも定番ネタですが、金縛りって科学の領域?」


金縛り幽霊同様、これも定番ネタの金縛りですが、右の絵は「悪夢」というタイトルの絵画らしく、洋の東西を問わず、金縛りは霊や悪魔の仕業と考えられていたようです。

ということは、けっこう昔からポピュラーなものだった訳ですね。私、初めてこの金縛り(言葉としては後で知ったのですが)を経験したのは、今でもけっこうハッキリと覚えていますが、小学校5年の時のクリスマスの日でした。ラジオを聴きながらコタツで一人寝ていたのですが、そのラジオから流れてくるディーン・マーティンのホワイトクリスマスを聞きながらうたた寝をしていました。一人でいた正確なシチュエーションは覚えていないのですが、夜です。

ウトウトとしている寝入りばなにふと夢のようなもの(?)を見ました。古い建物の入り口が開いていて、その入口へドンドンと近づいていく感じです。で、その時、何か妙に頭だけが冴えわたるような感じを覚え、同時に怖さのようなものが湧きあがってきました。そして、その建物の入り口に入って行った瞬間、来ました。何せ初めての体験ですから、何が何やら…。急に体が締め付けられるように強張り、目も開けられず、声も出ない。頭の中は覚醒状態。とにかく全身に怖さがまとわりついてくるのですが、如何せん、どうしようもない。何か、自分の上に「人がいるような」気配を感じました。もう、パニックなんてものじゃありません。声を上げてジタバタとしたいところですが、全く口も身体も動きません。

金縛りがようやく解けたのは何分後か…。身体が動いた時はもうヘトヘト状態。怖かった気持ちだけが貼りついています。それが何だったのか分かりません。もう、気味が悪いのを通り越して、茫然自失です。人にそれをどう説明していいのか分からないので誰にもそのことは言いませんでしたが、その日を境に時々金縛りが起きるようになりました。

金縛りが起こる理由は分かりませんけど、そのうちに「慣れてきました」。中学の頃は、来そうな気配が何となく分かり始め、回避する事も、なってしまった時の対処法も「会得?」しました。要は、あの「体が重くだるいのに頭だけは妙に覚めたような状態」になると「来るかも」と思い、なってしまったらとにかく「全身の力を抜く」。それで、回避できたり、早々に解放されたりするようになりました。怖い事は相変わらず怖いのですが。

実はこの金縛りなるものが他の人にも起こる事、長い間知りませんでした。いつ頃かは忘れましたが、人と話している時にその話におよび、他の人もけっこう同じ事になっているんだ、と知りました。全くなった事が無い人もたくさんいるようですけど。

で、長い間、その金縛りの原因が分かりませんでしたが、歳を取るとともに起こらなくなり、今ではほとんど起こりません。最近では「科学的に解明された」とか、ものの本に書いてあります。曰く「体は寝ているのに、脳が覚醒していている状態」「一種の睡眠障害」「ストレスからくる、鬱的状態に原因がある」とかとか。読んでみれば「なるほど」と思えなくもないです。合理的な説明であるとも思えます。

しかし、しかし、です。そこに書かれているレム睡眠だとか、脳の状態だとか、睡眠そのもの、ストレスの概念、鬱とやら、全ては生理的なものなのでしょうが要は人の身体の事です。そのすべてが明確になっているのでしょうか。非常に疑問を覚えます。である以上、一見合理的な説明に思えても、それで得心、という訳には行きません。文中に「金縛り中に、何かに抑え込まれているような重苦しい幻覚を伴う場合もあり…」。出た! 幻覚!

ここに科学の限界があるのではないでしょうか。幻覚…。ではその時覚える恐怖感や、経験した者にしか分からない「生々しい手触り感」を幻覚の一言でかたずけるなら、その幻覚なるものを合理的に説明してほしい。断言します。できる訳がない。その理由は、その言葉の通り「幻なる感覚」と言っている訳ですからです。ここに科学性を認める事はできません。言葉の上げ足取りではなく、金縛りが起きた時、多くの経験者が何者かの存在を感じています。であれば感覚としての「事実」は実体を伴っています。

金縛りが起きるメカニズムが重要なのではなく、考えるべきは、その「何か」ではないでしょうか。私も他の人同様、感覚的には「間違いなく」人のようなものに抱きつかれました。それに抗って反撃を試みた事もあります。手を掴まれている感覚も経験しています。

大凡、世の不思議が全て錯覚、幻覚であるとしたら、それが科学的な考えであるとしたら、それこそ科学はその錯覚幻覚なるものを証明し続けなければならない運命にあります。感覚の世界です。金縛りを経験する人が経験しない人より感覚が鋭敏であるかどうかは知りません。しかし、その時に感じるのです。得体の知れない何かを。感じる以上は「存在している」に等しい訳です。幻覚と呼ばれようとも。

繰り返しますが、金縛りの本質的な問題は「起きるメカニズム」にあるとは思いません。その時の「感覚」が問題だと思います。

では「どないせえっちゅうねん」と聞かれたら、その「何か」の存在、感じる存在を認めましょうと言いたい訳です。その感覚まで科学の俎板に載せられては「人は機械と同じである」と言うのに等しいと考えます。我々の周りには、ある状況で感じ取れる「何か」が存在する。これを受け入れるだけの事だと考えます。「ある、ない」の二元ではなく、「受け入れる」のが一元です。

ちなみに、学生の頃バイトに出かけるまでちょっと時間があったのでゴロ寝していたらいきなり金縛りにあい、動けなくなって、結局バイトに遅刻して怒られました。さすがに「金縛りで動けなくて」とは言えず、謝るだけでした。

金縛りが単に病理的なアクシデントという事で市民権を持っているなら、「大変だったね」という事で怒られなかったかも、って、これは茶化しです。

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