「不思議」「怖い」「変」を普通に考える。タイトルバナー

不思議 その57「陰と陽 正と負 +と- 凸と凹 一つになれば0…」


半分少々理屈っぽいことを書いてしまいそうですが、「不思議」という感覚を強く覚えてしまうことなので、書きます。

言葉には、反義語、反意語、反対語、対義語、対語、等々、その反対の意味を表す言葉があります。「正と負」であればこれは中間がありませんから、もう「どちらか」ということになります。「大と小」だと相対的な比較ですからその中間があり、絶対的な存在とはなりません。しかし、そのど真ん中から分けて見れば両者は「ポジとネガ」のような関係になります。「多と少」もそうでしょう。「陰と陽」は概念なので中間がないとまで言い切れませんが、論として使われる場合はこれも「どちらか」ということになります。「+と-」もそうです。電荷として考えれば、その間に0がありますが、要は不思議と感じるのはここなんです。両者を合わせると0になる…。

「物質と反物質」というものがありますが、これは「どちらか」というものになりますけど、この「物質」に対しての「反物質」という概念は、SF好きであれば「両者が触れれば、大爆発が起きる」ってのが定番です。実際に反物質というものを粒子加速器での粒子同士の衝突で観測することができるようですが、物質の世界では瞬く間に消え去ってしまい、貯蔵できるものではないようです。この反物質、昔のSFでは「反陽子爆弾」などと描かれていましたが、簡単に言ってしまえば、「物質」を構成する電子はマイナスの電荷を持ち、陽子はプラスの電荷、中性子は電荷0。で、これを「反粒子」とすれば、電子はプラスで陽子はマイナス。中性子は0なので同じ。これらの反粒子でできたものが「反物質」ということになります。で、物質と反物質が接触すれば「対消滅」という現象が起き、両者は互いにその質量をエネルギーとして放出し、とんでもない爆発を起こして消滅してしまう、ということであるそうです。

と、理数系破綻者の脳みそでお行儀よく考えてみたところで、論はこれより先には進まないので、ここからは破たん上等の雑学脳で行きます。

一体、何に不思議さを感じているのかといえば、実験室(装置)でごく稀とはいえ、反物質が生まれるのなら、この広い宇宙で反物質がどこかで生まれ、物質と接触することになればそこで起きる大爆発は観測されるものなのでしょうか? もし不幸にも反物質が地球に飛んできたとしたら、一巻の終わりなのでしょうか。「対消滅」の際に大爆発を起こすということは、そのエネルギーはどこに由来するのか? ビッグバン? そもそもこの宇宙が生まれたときに物質と反物質は同量存在したそうですが、「何かの理由で物質の方が多く残り、反物質は消滅した」ということを本で読んだ記憶があります。その「何かの理由」って何でしょう。それに、そもそも、反物質の側から見ればこちらが「反」となるわけで、どちらにひっくり返しても同じではないですか(ややこしい)。

すべてにおいて「反」が存在するのなら、「反空間」「反時間」「反次元」も存在するのでは…。であればすべてが「反」で出来上がった宇宙があれば、それは「反」でない方(ややこしい…)と全く同じで、今の自分がいる宇宙は「反」なのか、そうでないのか(ややこしいよぉ…)分からない訳です。脳みそがシュワッと泡立ってきました…。

で、数式ではなくイメージで考えれば、ビッグバンには「反ビッグバン」があったとして、それが「砂時計」のような形で、それぞれが逆の方向に同じような形で広がっていったと考えてみたらどうなのでしょうか…。片方は電子がマイナスの宇宙、もう一方は電子がプラスの宇宙。すべて片側が「反」で、形としては全くの相似形で広がって行き、それぞれに「宇宙」と「反宇宙」を形成していったと…。ビッグバンの始まりは「時空の揺らぎ」から始まったと聞きますが、要は何らかのきっかけで始まったとして、「無から有が生まれた」というより、そのビッグバンが起こった特異点はズッと0のままで、ただ、プラスとマイナスの側に広がってしまい、両方を合わせればそれはやはり0(行って来いの関係)で、宇宙と反宇宙はそれぞれ全く違う方向に同量で広がって行ったと考えてみたら。であれば、物質と反物質は同じ宇宙に存在するわけがない。イメージでは「宇宙」と「反宇宙」はお互いに背中合わせのように存在する、てな感じです。

ではなぜ、この宇宙で「反物質」が観測されるのか? さあ、妄想紙一重の世界でさらに戯言をぬかすとすれば、それは「次元の穴」が存在するからでは…。事実、光が髪の毛の幅を通過する程の超短い時間に粒子が表れて消えていくという現象に、「次元」の移動という概念で説明する考えもあるようです。何かの拍子にこちらの次元にチラリと現れてしまった、と。

まさに「陰と陽」「正と負」「凸と凹」。もとは同じもので、要はひっくり返し。あちらから見ればこちらが「陰」と言おうが「陽」でもあり、あちらが「正」と言ったとしてもこちらから見れば「負」。しかしてその本質は、もとが0から右と左に泣き別れ(?)になった姿。まさに「どっちもどっち」ってことではないでしょうか。元々は「同じ」「無い」「0」。あらゆる事象は0なんです、って事になるのでは…。

私、これでもかなり真面目に考えています。数学者のように数式という言語は操れませんが、脳みその「思考実験」で二千数百年前に「原子の存在」「惑星運動」「政治形態」等々、現代に通じるような実績を上げている古代ギリシャ人のように(憧れ…)、雑学脳で勝手ご容赦、妄想御免、バカ扱い上等で「不思議」に挑んでみたいのです。だったら学者になれって? それじゃ面白くないですよ、食い散らかしができませんから。じゃあ、役に立たないじゃねえか、って? いいんです、私が楽しいんですから。

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