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不思議 その30「シンクロニシティ(共時性) 偶然でしょうか?」


タンポポ「シンクロニシティ」という言葉を聞かれたことがあるでしょうか? 「共時性(きょうじせい)」と訳されています。簡単に言えば、「噂をすれば(何者かを思い出した時)、影」「下駄の鼻緒が切れた時(何か悪い予感がした時)、身内に不幸が起こった」というような事ですが、これは「偶然」で片付けようとすればできなくもない、です。しかし、深層心理学の大御所ユングはそうした「非因果的」な事に「意味的関連」を見出し、「心に思い浮かんだことが、現実の出来事と一致する」ことを、社会(=コミュニティ)の中で起こる「意味を折り合わせる共時性(シンクロニシティ)」と考えたのです。

この辺りはユングの本領発揮ですね。おそらくそうした事は多くの人が経験しているのではないかと思いますが、「偶然」という事とどう判別すればいいのか、かなり難しい問題です。キーワードは「因果性」と「意味性」ですかね…。この辺からアプローチしてもややこしくなりそうですが、ユングはこの「時間的な因果性」と「同一空間での意味性」のふたつにより、世界は構成されているとしています。「時間的な因果性」とはムチャクチャ大雑把に言ってしまえば、「ビッグバンで生まれた宇宙が138億年後に現在の地球を作った」ということでしょう。「同一空間での意味性」ですが、これが「シンクロニシティ(共時性)」となるのですけど、説明しようとすれば論文になります。

「概念」として捉えるよりも「経験」として捉えた方が分かりやすいかもしれません。「偶然」という事象は誰も否定しないと思います。時計を見たらたまたま並び数字の「3:33」で、次に見た時も「4:44」「5:55」だったとか、スーパーの駐車場で、両隣の車の人と同時に車を出そうとしていた、とか…、草野球で隣りのグラウンドの試合で打った球が自分の打った球と空中で当たってしまう、とか…、ゴルフでムチャクチャ長いパットが一発で決まったとか(実力?)…。

それらは「マグレ」とか「タマタマ」で済ませる事ができますが、もし、「心の中で思った事」が「現実に起きた」とすれば、何か「意味的」、「運命的」なものを感じないでしょうか。例えば「会いたいと思っている人から、突然電話が来た」とか「何か嫌な予感がして電車を一本乗り過ごしたら、その電車が大事故を起こした」とか。こうしたものは「心と現実」がまさにシンクロしたと思えるのではないでしょうか。

私も何度かあります。非常に身近な例で言えば、あるサイトのコンテンツで、もう皆の記憶から消えているような作家の事を「今はこういう人の考えこそが必要なんだ」と、思い込みのような信念(?)で書いてみると、翌日の新聞にその作家の特集記事が出ていたとか、「これは重要な事」と思い、苦心惨憺して解説的な事を書いてみたら、やはり翌日の新聞にその関連記事がドンズバ出ていたりとか。けっこうな頻度であります。

1900年代に創設されている「超心理学」ではESP(テレパシー等)とPK(サイコキネシス:念動力)を合わせてPSI(サイ)という呼称を使っていますが、実はユングも患者の深層心理を分析する際にこのPSI現象を経験していると述べています。「シンクロニシティ」は超能力? ユングはこのシンクロニシティに現れる「意味性」はご存知「集合的無意識(補足説明※10)」に由来するとしています。

しかしながら、お約束ですけどそうしたことが「科学」となるには「数値性」「再現性」を明確にしなければ、「似非(えせ)科学」とか「疑似科学」とされてしまいます。経験的にいって「シンクロニシティ」に再現性はありません。あったら、凄い事なんですけど…。余談ですが、「心が現実に影響する」といっても、「手を挙げようと思って、手を挙げた」はただの個体の中で起こる生理的な事ですので、対象外です(まあ、人間の意識と運動メカニズムとしてはこれも凄い事ではあるのですが)。

このテーマには、まさにこのサイトの「本質」があります。つまり、否定するのは簡単ですし、興味がないと言えばそれまでですし、それを無理やり「違うんだ! 実は…!」なんて主張しようとも思っていません。ただ、「考えてみる対象」としてはこれほど面白い事、不思議な事はない訳でして、それを「あり得ない、嘘だ、バカバカしい」とするのは何とももったいない。そもそも、「科学である」と万人が認めているものでも、時代とともに変わって行きます。つい一世紀程度前までは「空気より重い鉄が空を飛ぶのは不可能」が科学的にも常識でしたが、ハイ、今は飛んでいます。航空学と、進歩した金属加工技術等のおかげです。ちなみに、「砲弾(鉄球)」の場合は火薬の勢いで「飛ばされている」だけで、「飛んでいる(飛行)」のではありません。余談。

「シンクロニシティ」は科学の舞台の上には上がりきれていません。しかし、それを対象としている多くの研究者がいます。疑似科学と言われようとも「もしかしたら…」と、否定しきれない事象であるという事でしょう。

やはり、ユングが言うように、「自分だけの考え、願望」であると思っていることが、実はすべての人間が共有している普遍的な「集合的無意識」の世界ではつながり合っているのかもしれません。実は、私はそう思っています。根拠は、もしビッグバン理論が正しければ、もともと、物質も人も、その精神活動、意識を司るもの(何でしょうね? 不思議…)も、ほんの微小な一点に全て一緒であった訳ですから。皆、同じだったという事です。であれば、何らかのメカニズムでそれがシンクロしていたとしても、おかしくはないでしょう。

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