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不思議 その16「昼間に寝ている時、顔を殴られて、誰もいない…」


これも金縛りネタなのですが、以前にも「金縛りは科学の領域」なのか、という編を書きました。いわゆる金縛りなるものは生理学的に解明されているとされていますが、そこでも書きましたけど、私にとって「金縛りがなぜ起きるのか」という原因が重要なのではありません。その時に感じる、不思議としか言いようのない感覚、気配、何ものかが、錯覚、幻覚と言われようが、どうしようもなく生々しい実体を伴って感じられる、いや、物理的とさえいえる何ものかとのコンタクトが起きる、という事に、如何に科学的に説明されようが腑に落ちない、ということが問題なのです。

「物理的」と言いましたが、人はその物理的なものでさえ聴覚や視覚、触覚で錯覚を覚えると言います。ですが、体験した事はそのような説明で納得できるものではないのです。もちろん、理性的には理解できますが。

例えば、夢を見るという事に関して大脳生理学が説明をしてくれても、そのメカニズムは理解できるのですが、では、何故そのような(内容の)夢を見るのかまでは、説明しきれるものではないと思います。フロイト、ユングを読んでも、特にユングですが、比喩が多すぎて難解であり、その中核にある「普遍的無意識」(補足説明※10)なるものは心のどこかに掠ってはくる(受け入れる事は出来る)ものの、納得の域にまでは行かないのです。

中学生の頃だったと思います。中間テストで例によって「一夜漬け」戦術でテストを乗り切り寝不足状態。家に帰って、とにかくひと眠りしたいという経験は少なからずの方にあると思います。もう、眠くて眠くて、家に着いた途端、そのまま座布団を枕にドタッと横になります。着替えるのも面倒臭い。学生服の上着だけを脱ぎ、さあひと眠りできるという至福の時です。家には誰もいません。

身体はもう睡眠を要求して怠いくらいの状態です。しかし、意外と寝付けない。頭に、テストの緊張がまだ残っているのか、覚めたような状態です。確かにこんな時によく金縛りは起きます。その意味では、生理学的な原因というのはあるのでしょう。しかし、まだ外は明るく、こんな真昼間から金縛りにあった事はありませんでした。前にも書きましたが、金縛りが来そうな気配というのは何となく分かるようになっていたので、回避できる時もありましたが、その時はノーマーク。全身がビクッとするような感覚とともに、一発で金縛り状態になってしまいました。

経験した方はお分かりでしょう。体も口も動きませんが、意識は明瞭です。金縛り状態から逃れるべく、極力全身から力を抜こうとしますが、いきなり来たのでなかなか思う通りに行きません。その時、やはり何かの気配を感じ始めました。やがてその何かが体の上に覆いかぶさってきます。何度経験しても、これは怖い…。で、その時はその何ものかが、手で触れてくるような、つまり、かなりハッキリと「人」のように感じ取れました。それに対して身構えると余計に金縛り状態がキツクなります。その者(あえて者と言います)は私の身体に覆いかぶさり、両腕を抑え込んできます。もう、怖さがレッドゾーン近くです。こうなると、私の性格か何か分かりませんが、怒りが湧いてきます。恐怖心が憤りに変わって行くのです。「なんじゃ、おどりゃあ(おまえは)! いっつもわれ(おまえ)のせいで、こうなるんか!(方言)」。声が出る訳ではありませんので、心の中で怒鳴っています。

怖さが沸点を超えて、真っ赤な怒りに変わります。身体は動きませんが、目いっぱい力が入ってきます。その者が掴んでいる両手を押し返し、ブン投げようと試みますが、当然思ったように身体は動きません。が、この野郎!とばかりに、気持ちはこの体勢を跳ね返して、ぶん殴ってやろうと殆ど逆上に近い状態です。その時です。思い切り自分の顔を逆にぶん殴られました。まともに正面から。頭がのけ反るくらい。かなり強烈なパンチ! 私、ノックアウトをくらって、しばらくノビていたような感じです。で、ふと我に返ってみると金縛りが取れています。頭にきている感情はまだ残っていますので、上半身を置き上がらせ、反撃のファイティングポーズ!

が、そこには誰もいません。昼の明るい部屋の中に私一人だけ。まさに拍子抜けるとはこのことです。「敵」が目の前から忽然と消えているような。しかし、顔を殴られた感覚は顔面に残っています。鼻っ柱がツーンと来るような。しかし、誰も家の中にはいないのです。何者かとやり合っていた感覚は体に残っています。これを、錯覚だ、幻覚だ、夢だと言われても、顔面を殴られた感覚は残っています。これも錯覚? 金縛り中に感じる何ものかの気配に、ぶん殴られるというのは後にも先にもその時だけの経験です。

「作り話」と言われたら、反論はしません。意味がありませんから。

だから、不思議は他者と共有できる方が少なく、自分が感じた不思議は、不思議のままに受け入れるしかありません。で、考えてみる。人の脳はその状態の方が「健全」なのではないでしょうか。あの経験に対する答えは今でもありませんが、考えるネタにはズッとなっています。

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